第二院クラブ(読み)ダイニインクラブ

デジタル大辞泉 「第二院クラブ」の意味・読み・例文・類語

だいにいん‐クラブ〔ダイニヰン‐〕【第二院クラブ】

参議院にあった院内会派。昭和37年(1962)参議院同志会(旧緑風会)が市川房枝らの無所属クラブと合同で結成。昭和58年(1983)の参議院選挙で比例代表制が導入されたのに伴い、無所属議員が比例選挙に立候補できるよう、青島幸男中心となり政党化された。二院クラブ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「第二院クラブ」の意味・わかりやすい解説

第二院クラブ
だいにいんくらぶ

参議院の院内会派。1962年(昭和37)7月参議院同志会(旧、緑風会)が院内交渉団体の資格を確保するため市川房枝(ふさえ)らの無所属クラブと合同して「第二院クラブ」を結成したのが始まり。結成時の所属議員は12人で、代表は村上義一(ぎいち)(1885―1974)。結成にあたり「組織にしばられぬ参議院の良識」を目ざしたが、1964年3月、村上ら同志会系の議員が自由民主党に入党したことで分裂した。このため市川、山高しげり、林塩(はやししお)(1904―1992)らは新たに無所属議員の院内会派として第二院クラブを再結成した。1968年7月選挙のあと青島幸男(ゆきお)、横山ノック(1932―2007、本名山田勇(いさむ))らが加わり、政治資金規正法の徹底化など政治浄化に努め、1977年8月「企業からの政治献金を受けない」「あらゆる意味で庶民の立場に立つ」など5項目からなる方針を定めた。1982年12月、第二院クラブは八代英太(やしろえいた)(1937― )、中山千夏(ちなつ)(1948― )らと「無党派クラブ」を結成して、第二院クラブという会派名は消滅した。無党派クラブは1983年参議院選挙後に解散を決議し、こんどは「参議院の会」という会派を結成したが、青島幸男ら3人は離脱して「二院クラブ」を結成し、1984年11月に「二院クラブ・革新共闘」と改称した。1992年(平成4)9月、青島幸男は当時の自民党副総裁金丸信(かねまるしん)(1914―1996)の5億円献金・脱税問題に抗議してハンストを行い、金丸信の議員辞職のきっかけとなった。二院クラブは、青島幸男が1995年4月の東京都知事選立候補のために辞職したことで院内外の活動は弱まった。1998年7月の選挙の結果、当選者がなく非改選議員の佐藤道夫(1932―2009)だけとなり、同月「自由連合」と統一会派を組み、「二院クラブ・自由連合」となった。2001年(平成13)7月の参議院選挙で二院クラブの当選者が出なかったことで、会派の所属議員は島袋宗康(しまぶくろそうこう)(1926―2022、沖縄社会大衆党委員長)一人となった。このあと二院クラブは「無所属の会・自由党」の統一会派に加わったが、2004年に島袋宗康が政界を引退したことで、会派としての二院クラブは解消した。なお政党名としては最後まで第二院クラブを名乗った。

[吉田健二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「第二院クラブ」の意味・わかりやすい解説

第二院クラブ
だいにいんクラブ

参議院の小会派。 1964年無所属婦人議員で結成され,市川房枝らが所属した。参議院は一党一派に偏せず第二院の特色を発揮すべきだとの趣旨から綱領や運動方針などを決めず,少数ながらユニークな存在と活動を示している。

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世界大百科事典(旧版)内の第二院クラブの言及

【緑風会】より

…59年6月選挙後11名に転落,翌年1月参議院同志会と改称。62年7月選挙後7名となり,無所属クラブとともに第二院クラブを構成,翌年3月,3議員の自民党入党を機にいったん緑風会に復名したが,最後の4議員(奥むめお,佐藤,高瀬,村上)の任期満了(1965年6月1日)とともに消滅した。【神田 文人】。…

※「第二院クラブ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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