節談説教(読み)ふしだんせっきょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「節談説教」の意味・わかりやすい解説

節談説教
ふしだんせっきょう

仏教で経典教義を説くための話芸的な技巧。ことばに節(ふし)(抑揚)をつけ、美声ゼスチュアをもって演技的表出をとりながら聴衆の感覚に訴える詩的、劇的な情念説教をいう。仏教伝来のときから行われたと思われるが、節談説教発展の基盤をつくったのは、天台宗の澄憲(ちょうけん)(1126―1203)・聖覚(しょうがく)(1167―1235)父子が樹立した安居院(あぐい)流と、寛元(かんげん)年間(1243~47)に定円(じょうえん)が創始した三井寺(みいでら)派であった。安居院流は浄土宗と浄土真宗に入り、とくに真宗で節談説教が栄えた。近世には五段法(讃題(さんだい)、法説(ほうせつ)、譬喩(ひゆ)、因縁(いんねん)、結勧(けっかん))という型をつくり、幾多の名手を生んだ。能登(のと)節、加賀節、安芸(あき)節、尾張(おわり)節、東保(とうぼ)流、椿原(つばきはら)流など多数の流儀を生じ、その伝統は昭和初期にまで及んだ。

 各地で隆盛だった節談説教は、日本の語物や話芸の成立に強い影響を与えたが、仏教の近代化のなかで衰退し、第二次世界大戦後急激に崩壊した。今日では全国数人伝承者が残存するのみである。

関山和夫]

『関山和夫著『説教の歴史』(岩波新書)』『俳優小劇場芸能研究室編『説教 埋もれた芸能史からの招待』(1974・風媒社)』『祖父江省念著『節談説教七十年』(1985・晩聲社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「節談説教」の意味・わかりやすい解説

節談説教 (ふしだんせっきょう)

仏教で経典や教義を説くための話芸的技巧。ことばに(ふし)(抑揚)をつけ,洗練された美声とジェスチャー身ぶり)をもって演技的表出をとりながら聴衆の感覚に訴える詩的・劇的な情念の説教である。仏教伝来のときから行われたと推定されるが,天台宗の澄憲ちようけん)(?-1203)・聖覚(しようがく)(1167-1235)父子が樹立した安居院(あぐい)流(安居院)と寛元(1243-47)のころ定円が創始した三井寺(みいでら)派のことが《元亨(げんこう)釈書》に見える。安居院流は浄土宗と真宗に入り,とくに真宗で節談説教が興隆した。近世には五段法(讃題・法説・譬喩(ひゆ)・因縁・結勧)という型を作り,幾多の名手を輩出した。能登節,加賀節,筑前節,安芸節,尾張節,三河節,東保流,椿原流など多数の流儀による型を生じ,江戸時代から明治・大正・昭和初期まで一世を風靡した。日本の語り物や話芸の成立に強い影響を与えたが,仏教の近代化の中で衰退し,第2次大戦後一気に崩壊した。今では全国に数名の継承者が残存するのみである。
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世界大百科事典(旧版)内の節談説教の言及

【唱導】より

…したがって説経浄瑠璃や説経節を生むこともなく,法話の説教としてのこったのである。しかしこの説教と説経節やチョンガレと結合した節談説教が江戸時代にでき,民衆の娯楽となったのも,唱導が本来音韻抑揚の節をもっていたことに基づく。いまのこる《安居院神道集》は安居院流唱導が神仏の本地談を語ったことをしめすが,本来の表白体や願文体の唱導は《普通唱導集》によってうかがい知ることができる。…

※「節談説教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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