日本歴史地名大系 「簸川神社」の解説 簸川神社ひかわじんじや 福井県:福井市福井城下松本町簸川神社[現在地名]福井市松本二丁目祭神は素盞嗚(すさのお)尊・稲田姫(いなだひめ)尊・八王子(はちおうじ)。旧郷社。別当寺は真言宗の真教山長応(ちようおう)寺医王(いおう)院であった。元弘二年(一三三二)左近(酒生)長者が尾張国津島(つしま)社(現愛知県津島市)の神霊を足羽(あすわ)郡篠尾(しのお)村(現福井市)に勧請して牛頭天王と称し、朝倉孝景からも帰依を受けたという(福井県神社誌)。社伝によると、天正一三年(一五八五)北庄(きたのしよう)城(現同市)城主堀秀政の父秀重が後の三の丸御座所裏門前の地に移建したが、慶長六年(一六〇一)の北庄城の拡張工事で天王(てんのう)町に移されて、松本天王社と称した。 簸川神社ひかわじんじや 東京都:文京区旧小石川区地区小石川林町簸川神社[現在地名]文京区千石二丁目小石川台地の北西部に位置し、素戔嗚命を祀る。江戸時代には氷川明神と称し、宗慶(そうけい)寺が別当寺であった。鎮座地は小石川(谷端川)の北岸、小石川御薬園(旧小石川御殿用地)の西方にあたる地で、当神社前の坂を氷川坂とよび、この坂道を隔てた西に林大学頭家の下屋敷があった。社伝によれば、孝昭天皇の時代の勧請という。「江戸砂子」などは応永年中(一三九四―一四二八)芝増上寺開山聖聡から小石川談所に招かれた聖冏が、小石川極楽水(ごくらくみず)の近辺に結んだ草庵(別当の宗慶寺はその後身と伝える)の傍らに勧請したとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by