粉彩(読み)ふんさい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「粉彩」の意味・わかりやすい解説

粉彩
ふんさい

白磁上絵付(うわえつけ)技法一種。西洋から中国に伝わった琺瑯(ほうろう)の技法をベースに、清(しん)朝康煕(こうき)年間(1662~1722)末には江南景徳鎮窯(けいとくちんよう)で開発され、官窯の重要な新技法として珍重された。その絵の具が柔らかいため軟彩とも、また琺瑯彩ともよばれ、わが国では十錦手(じっきんで)という。不透明な絵の具はやや厚く賦彩され、その絵付の呈色は従来の五彩よりはるかに多彩であり、金によって臙脂(えんじ)、アンチモンによって黄色が呈色されて、その質感は油絵に近いものがある。雍正(ようせい)年間(1723~35)にはさらに古月軒(こげつけん)とよばれる絵画そのものを粉彩で表した絶妙な白磁が焼かれて、技法は頂点に達した。粉彩をもって器表をすべて塗り詰めたものは夾彩(きょうさい)とよばれる。粉彩はわが国には江戸末期の天保(てんぽう)(1830~44)ごろには伝えられ、伊万里(いまり)焼(佐賀県)、砥部(とべ)焼(愛媛県)、安東(あんとう)焼(三重県)など各地の窯にすぐに普及した。

[矢部良明]

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百科事典マイペディア 「粉彩」の意味・わかりやすい解説

粉彩【ふんさい】

中国清時代に,新しく開発された上絵付技法。本焼きした白磁に,白色釉または,白色と混合した色釉で賦彩する方法。この白色不透明な上絵具の出現により,上絵付の各色の濃淡表現が可能となった。この技法は,ヨーロッパの無線七宝に倣ったとされ,原料は白色琺瑯(ほうろう)粉(石英鉛粉を混ぜ,硼素砒素を加えたもの)からなる。景徳鎮窯の康煕年間末から粉彩の作品が見られ,雍正年間以降,盛んに行われた。〈琺瑯彩〉も粉彩技法の一種であるが,これは白磁を景徳鎮で焼成した後,絵付を北京の宮廷内の絵師に行わせた,特別上質の作品である。

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普及版 字通 「粉彩」の読み・字形・画数・意味

【粉彩】ふんさい

彩る。

字通「粉」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の粉彩の言及

【赤絵】より

…また明末の天啓年間(1621‐27)から清初にかけて天啓赤絵,南京赤絵と呼ばれる粗雑な器皿,福建省あたりでは奔放な絵付の呉須赤絵が焼造されたが,これらも日本の茶人たちに愛好され,日本の赤絵の発展に大きな影響を与えた。清朝の成立とともに康熙・雍正・乾隆期には粉彩と呼ぶ精緻な五彩磁が作られ,よりいっそう絵画的な表現を展開していった。 日本では江戸時代の初期,1646‐47年(正保3‐4)ころ酒井田柿右衛門が中国の技法によって赤絵を完成したと伝える。…

【陶磁器】より

…康熙年間(1662‐1722)に御器廠は復活し,景徳鎮窯ではあらゆる複雑な技法を駆使した精巧な陶磁器を生産するようになる。伝統的な青花,色絵に加えて,ヨーロッパの無線七宝の技法を応用した琺瑯彩,洋彩,粉彩などの色絵磁器が生まれ,とりわけ粉彩は清朝景徳鎮窯の主流となり,〈古月軒〉と呼ばれるきわめて精緻な色絵磁器をつくり出した。雍正・乾隆時代(1723‐95)は景徳鎮窯の頂点の時代であり,御器廠の活動は目ざましいものがあった。…

※「粉彩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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