糸魚川藩(読み)いといがわはん

藩名・旧国名がわかる事典 「糸魚川藩」の解説

いといがわはん【糸魚川藩】

江戸時代越後(えちご)国頸城(くびき)郡糸魚川(現、新潟県 糸魚川市)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、次いで譜代(ふだい)藩、親藩(しんぱん)。藩校は明道館。江戸初期は高田藩家臣統治。1681年(天和(てんな)1)に高田藩主松平光長(みつなが)が改易(かいえき)されると、糸魚川も天領となった。91年(元禄4)に日向(ひゅうが)国 延岡(のべおか)藩から外様の有馬清純(ありまきよずみ)が5万石で転封(てんぽう)(国替(くにがえ))され、正式な糸魚川藩が成立した。その後譜代の本多助芳(ほんだすけよし)を経て、1717年(享保(きょうほう)2)、越前松平氏が1万石で入り(親藩)、以後明治維新まで8代続いた。糸魚川藩というと、普通はこの時代をさすことが多い。松平氏は江戸に定住する定府(じょうふ)大名で、糸魚川には陣屋をおき、代官が派遣された。1871年(明治4)の廃藩置県で清崎県に属し、その後、柏崎(かしわざき)県を経て新潟県に編入された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「糸魚川藩」の意味・わかりやすい解説

糸魚川藩
いといがわはん

越後(えちご)国(新潟県)頸城(くびき)郡糸魚川に置かれた譜代(ふだい)小藩。1万石。江戸初期には高田藩の家臣によって統治された。元禄(げんろく)期(1688~1704)には、幕府領、有馬清純(ありまきよすみ)領、本多助芳(ほんだすけよし)領などと支配が交代した。1717年(享保2)越前(えちぜん)の松平家から松平直之(なおゆき)が入封。以後、廃藩まで続いた。定府(じょうふ)大名で、領地は代官を派遣して支配した。また、領地は中頸城郡や北魚沼(うおぬま)郡にそれぞれ2000石余の飛地(とびち)があり、幕府領や高田藩領が混在していて、統治は困難を極めた。財政は困窮し、沖の口役銀騒動(1820)、黒川騒動(1819)などの紛争が発生した。1869年(明治2)6月、版籍奉還。清崎(きよさき)県、柏崎(かしわざき)県を経て、76年新潟県に編入された。

[中村義隆]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「糸魚川藩」の意味・わかりやすい解説

糸魚川藩
いといがわはん

江戸時代,越後国 (新潟県) 頸城郡糸魚川地方を領有した小藩。稲葉氏2万石,有馬氏5万石,本多氏1万石を経て,享保2 (1717) 年家門松平直堅が1万石を領して以後,子孫が受継ぎ廃藩置県に及ぶ。松平氏は江戸城帝鑑間詰。

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デジタル大辞泉プラス 「糸魚川藩」の解説

糸魚川藩

越後国、糸魚川(現:新潟県糸魚川市)を本拠地とした藩。江戸時代初期には高田藩家臣が統治。その後天領を経て、元禄年間に日向国から有馬氏が5万石で入封し、正式な藩となった。享保年間の松平直堅の入封からは明治維新まで松平氏が統治。

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