江戸後期の歌人、国学者。遠江(とおとうみ)国浜名郡白須賀(しろすが)駅(静岡県湖西市)酒造業夏目甕麿(なつめみかまろ)(1773―1822)の長子。通称杏仙(きょうせん)、名は諸平。柿園(しえん)と号する。和歌山の医師加納伊竹(いちく)の養子となって紀伊藩に国学者として仕官。1821年(文政4)本居大平(もとおりおおひら)に入門した。1828年全国の歌人の詠を撰修(せんしゅう)した当時最大の歌集『類題(るいだい)和歌鰒玉(ふくぎょく)集』第1編を出版、1854年(安政1)第7編まで出版。藩命により『紀伊続風土記(ふどき)』『紀伊国名所図会』(1812〜1851)の編集に参加。熊野(くまの)の山深く旅行し実体験の歌89首を詠み、歌集『柿園詠草(しえんえいそう)』(1854)を刊行。柿園派と称せられる。1856年藩の国学所総裁となる。翌1857年6月24日卒中で急逝。和歌山湊(みなと)道場町海善寺(かいぜんじ)に葬る。歌論『万葉英風』を書き万葉精神の清新雄渾(ゆうこん)であることを強調するが、実作は万葉風に新古今風を加味した天保(てんぽう)調で、『新古今集』を称揚する。
[辻森秀英 2016年5月19日]
賤(しづ)の男(を)がたてし煙のあと見えて椿(つばき)の巻葉霜にこほれり
『山本嘉将著『加納諸平の研究』(1961・初音書房)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新