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絵屋 えや

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

絵屋
えや

室町時代末期頃から現れ,桃山時代,特に慶長年間 (1596~1615) を中心に栄えた職業。堺,大坂,京都の町衆勢力の隆盛により需要が急増した工芸的な絵画を制作,販売した。色紙や短冊の金銀泥絵,扇絵,貝絵,染織の描 (かき) 絵や下絵,屏風絵,建築装飾やあやつり人形の彩色など広範囲に及び,これに従事した人の出自や作風も多様である。宗達は俵屋という屋号で絵屋を営んだと推定され,この職業を通じて町衆の芸術意欲をくみ上げ造形化した点に重要な意義がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

えや【絵屋】

室町末期から京都や堺などの都市で美術工芸品への需要の増大に応じてうまれた絵画生産業者。1603年(慶長8)刊行の《日葡辞書》は扇や着物に絵をえがく絵屋の存在を記すが,京都の《冷泉町記録》では1592年(文禄1)当時すでに3代続いた絵屋3軒の居住を記録し,扇屋・蒔絵屋・織屋などの町内40余軒の特産品生産業との連携活動を伝える。その制作の実態は,近世初期の俵屋宗達海北友雪などの画業から推測すると,屛風,掛幅のほか料紙装飾,扇絵,貝絵など,主に仕込み絵的な一種の既製品を制作していたと思われる。

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世界大百科事典内の絵屋の言及

【俵屋宗達】より

…京都の上層町衆出身で,唐織で名を得た織屋の蓮池氏かその別家喜多川氏の一族であったと推定される。早く〈俵屋〉を屋号とする絵屋あるいは扇屋を興して主宰したらしく,磯田道冶の仮名草子《竹斎》によれば,元和年間(1615‐24)京都でその扇面画,源氏絵は非常に評判の高いものであった。すなわち弟子を使って工房制作を行い,俵屋絵として売り出したのである。…

※「絵屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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