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綱島梁川 つなしまりょうせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

綱島梁川
つなしまりょうせん

[生]1873.5.27. 岡山
[没]1907.9.14. 東京
宗教思想家。本名は栄一郎。 19歳のとき上京して,坪内逍遙に師事。東京専門学校卒業後,『早稲田文学』の編集にあたった。文学,美学の評論家として,『悲哀の高調』 (1902) をはじめ浪漫的,宗教的な美文を発表。のち大西祝 (はじめ) に学んで倫理,宗教に関心を向け,『快楽派倫理学説』『西洋倫理学史』を著わした。胸を病んで病床で『病間録』 (05) ,『回光録』を書いて,神秘思想を説き,青年層に大きな影響を与えた。『綱島梁川全集』 (10巻,21~23) がある。

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デジタル大辞泉の解説

つなしま‐りょうせん〔‐リヤウセン〕【綱島梁川】

[1873~1907]思想家・評論家。岡山の生まれ。本名、栄一郎。「早稲田文学」の編集に従事。胸を病んでから神秘的宗教観に基づく随想を発表、当時の青年層に影響を与えた。著「病間録」「回光録」など。

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百科事典マイペディアの解説

綱島梁川【つなしまりょうせん】

キリスト教思想家,評論家。本名栄一郎。岡山県生れ。若くして入信したが,のち正統信仰に対して懐疑的となり,晩年神秘主義に傾いた。著書《病間録》(1905年),《回光録》(1907年)など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

綱島梁川 つなしま-りょうせん

1873-1907 明治時代の評論家。
明治6年5月27日生まれ。キリスト教に入信。東京専門学校(現早大)で坪内逍遥(しょうよう),大西祝(はじめ)にまなぶ。「早稲田文学」の編集にたずさわり,文芸・美術評論を執筆。肺結核の進行とともに宗教的思索をふかめ,明治38年「予が見神(けんしん)の実験」を発表して反響をよんだ。明治40年9月14日死去。35歳。岡山県出身。本名は栄一郎。著作に「病間録」「回光録」など。
【格言など】世にありては誰かこの苦き涙なからむ,されど神を信ずるものの涙には常に光輝あり

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朝日日本歴史人物事典の解説

綱島梁川

没年:明治40.9.14(1907)
生年:明治6.5.27(1873)
明治時代の評論家。本名栄一郎。岡山県生まれ。若き日キリスト教に受洗し,東京専門学校(早大)で坪内逍遥や大西祝 に学ぶ。夏目漱石からも英語を教わった。明治28(1895)年卒業,『早稲田文学』の編集を手伝い,高山樗牛 との歴史画論争で力を示す。喀血を繰り返しつつ,次第に文章にも宗教性が濃くなった。安倍能成,魚住折蘆などの若者が,梁川を訪ねたりもした。明治37年に突如光耀の経験を得,それを『予が見神の実験』(1905)に書き,大反響をまき起こした。若者への影響は大で,『梁川文集』『病間録』(ともに1905年)は多数の読者を得た。晩年には『回光録』(1907)がある。<参考文献>川合道雄『綱島梁川の宗教と文芸』

(中島国彦)

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大辞林 第三版の解説

つなしまりょうせん【綱島梁川】

1873~1907) 哲学者・評論家。岡山県生まれ。本名、栄一郎。東京専門学校卒。終生病身で療養しながら思想・宗教を論じ、次第に神秘的宗教思想に傾いた。著「病閒録」など。

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世界大百科事典内の綱島梁川の言及

【有漢[町]】より

…岡山自動車道のインターチェンジがある。明治の思想家綱島梁川の生地であり,重要文化財指定の臍帯寺の石幢などがある。【上田 雅子】。…

※「綱島梁川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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