日本歴史地名大系 「綿内村」の解説
綿内村
わたうちむら
現若穂の北部、北東は
弘治二年(一五五六)六月、武田晴信が井上左衛門尉に宛てた「綿内領之内、隠居免三百五拾貫文之所進置候」とある状にみえるのが初見(綿内文書)。
中世井上氏支配下となっていた。応永七年(一四〇〇)九月の信濃国守護小笠原長秀襲撃に際して、「大塔物語」は井上氏陣中に井上左馬助光頼ほか「舎弟遠江守・万年・小柳(中略)其勢五百余騎、千隈河々鰭取陣」と記す。井上氏発展とともに東部に
慶長七年の森忠政の検地で二千九〇一石余を記す(「川中島四郡検地打立之帳」小柳文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報