習志野市(読み)ナラシノシ

デジタル大辞泉 「習志野市」の意味・読み・例文・類語

ならしの‐し【習志野市】

習志野

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「習志野市」の解説

習志野市
ならしのし

面積:二〇・九九平方キロ

千葉市の北西部に位置し、北東部は八千代市、北西部は船橋市に接する。南西部は東京湾に臨むが、近代以前の遠浅海岸は埋立てられ、その景観を一変している。JR総武本線・京葉線、京成線・新京成線、国道一四号・同三五七号および京葉道路などが通る。

〔古代―近世〕

律令制下では「和名抄」記載の千葉郡山家やまいえ郷に属していたとされ、「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条の浮島うきしま駅を谷津やつ付近とする説がある。治承四年(一一八〇)一〇月に源頼朝が鷺沼さぎぬま御旅館を宿所としており、一五世紀には菊田きくた家中やなか郷が史料にみえる。室町時代には鷺沼氏が活躍したとされ、その居城を鷺沼城というがつまびらかではない。江戸時代には元禄郷帳の千葉郡内に六村が記載され、のち開発された二新田を含め幕府代官支配のほかは旗本知行所であった。小金こがね牧の下野しもの牧に近く、牧の維持や将軍鹿狩での人足など多様な負担をした。

〔近現代〕

明治八年(一八七五)の大区・小区制では第一一大区第八―九小区に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「習志野市」の意味・わかりやすい解説

習志野〔市〕
ならしの

千葉県北西部,下総台地の西部にある市。 1954年津田沼町を改称して市制。中心市街地の津田沼は,近世市場町千葉街道宿場町として発達。明治以後陸軍の演習場があったが,第2次世界大戦後は軍施設を利用して,千葉工業大学,各種研究機関が移転。東部地区には金属機械工場も誘致されて急速に発展。東京との結びつきが強く,人口増加が著しい。東京湾岸の国道 14号線沿いには埋立て地の造成が進み,ノリ,貝の浅海養殖は消滅して住宅地になっている。 JR総武本線,京成・新京成電鉄通り,湾岸部を JR京葉線,東関東自動車道が走る。面積 20.97km2。人口 17万6197(2020)。

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