日本大百科全書(ニッポニカ) 「聖山事件」の意味・わかりやすい解説
聖山事件
せいざんじけん
紀元前494年、ローマの平民(プレブス)が貴族(パトリキ)に対抗すべく、ローマ市から武装して退去し、市の北東約5キロメートルにある丘(聖山)に立てこもり、貴族の譲歩をかちとった事件。「聖山」はラテン語のモンス・サケルmons sacerを直訳したものであるが、最古の伝承によれば、平民が立てこもったのは、ローマ市内のアウェンティーヌス丘だったといわれ、「聖山」に退出したという伝えは、護民官の身の安全を保証する法lex sacrataと関連づけて編み出されたと考えられる。貴族は、この「離反」によりローマの防衛力が激減することを憂慮し、平民側に代表を派遣して説得し、結局平民は自らのなかから護民官を選ぶことで和解に応じたと伝えられる。護民官は当初2人で、その身は不可侵とされ、コンスルの命令に対し拒否権を発動でき、これによって平民を守る役目をもった。その後、前449年にも平民の「聖山」への離反があったと伝えられる。
[平田隆一]