中国,河南省洛陽の南14kmにある仏教石窟。伊水が北流し二つの山が岸をはさんで対峙し,形状が門闕(もんけつ)のようになっているので,伊闕または竜門と呼ばれた。石窟群は両岸の崖壁にあって,石窟1352,龕(がん)785を今かぞえる。大部分は西岸すなわち西山にあり,大窟28。東岸すなわち東山には唐代の窟が多く,大窟7を残している。北魏が帝都を平城から洛陽へ移したのは,494年(太和18)で,竜門の地が石窟造営の地となったのもこれ以後で,最古の石窟は正確に年代をきめがたい。北海王元詳の仏龕のような個人的な造営から始まったともいわれる。皇帝勅命による造営は,宣武帝が孝文帝とその皇后のために500年(景明1)に大長秋卿白整に命じたのが最初であったが,《魏書》釈老志によるとこの2窟造営は規模広大なため完成せず,505年(正始2)に大長秋卿王質に勅して計画を縮小し,永平年間(508-512)には宣武帝のために石窟1の造営に変更した。この3窟が西山北方にある賓陽洞であるが,賓陽中洞だけが完成し,南北洞は下って隋・初唐に本尊の完成をみた。この賓陽中洞は設計計画のもとにつくられたから竜門でもっとも整備した石窟であり,奥行き6m,幅5.24m,奥壁幅7.7mを測り,天井は穹窿頂として中心に二重蓮弁をおき,伎楽天人4,供物捧持の天人1を配置している。正面は方座上の座仏を中心にした五尊形式で,獅子もおき,左右壁には立像中心の三尊,外壁両側に金剛力士の大像を配している。前壁は,腰壁に十神,腰壁の上方は3段としてそこに維摩文殊対問や帝王后妃の行列(礼仏図),本生譚を配列する。
西山には,そのほか古陽洞(第21洞),蓮華洞(第13洞),魏字洞(第17洞)など北魏末の石窟がある。古陽洞は最古といわれ,494年(太和18)以後の仏龕が多く,やや馬蹄形をした平面で,奥行き13m,穹窿状の天井は高さ11m。後壁に2段の高い宝壇があり,座仏を中心に左右に菩薩立像をおき,列龕を他の壁面全体にひらいている。そこには交脚菩薩像が多く,雲岡石窟からの残照をみとめることができる。蓮華洞の始まりは神亀年間(518-520)ころで,本尊は520年(正光1)初めには完成し,ついで左右両壁がつくられて孝昌・建義年間(525-528)にでき上がり,さらに北斉や初唐にいたっても小仏龕が造営されていった。奥行きが10mに近い長方形で,奥が幅広になっている。天井は円く,大蓮華をいっぱいに刻み,また6体の飛天を配する。正面は舟形光背をつけた立像を中心とする五尊形式で,脇侍菩薩は賓陽洞のものと酷似している。
北魏が滅亡したのち,北斉から隋にかけても造営は続き,薬方洞は北斉から隋,また賓陽南洞は一部隋代のものがみられる。薬方洞は奥行き3m,幅3.28mの方形。高さ3.85m。後壁には宝壇があり,その上に本尊が別の高い宝座上に座し,両側に羅漢,宝壇上の両側壁に2菩薩をおく。また本尊前には獅子がいる。左右壁の奥にやや寄せて大龕をつくる。唐初には魏王泰が賓陽3洞を修補して,また斎祓洞(第1洞)をつくり,641年(貞観15)に伊闕仏龕碑が建った。これは褚遂良(ちよすいりよう)の筆に成っているので名高い。敬善寺洞は永徽・顕慶年間(650-660)に太宗の妃である紀国太妃韋氏の造建によって成立。奥行き3.15m,左右壁は3.4mあり,奥壁には座仏を中心に小さい菩薩像を両側におき,側壁には羅漢,供養者,菩薩,甲冑神王を各2体ずつおいている。門口は唐代窟に頻見する方形を呈し,閾(よく)と唐居敷(からいじき)とがある。洞外左右に力士,菩薩各2を配している。
唐代の造営は,北西の北から漸次南へと及んだが,敬善寺洞についで,その南に第6洞と称される磨崖3仏がつくられ,南方へ移って第7,第8の双洞から万仏洞,獅子洞,恵簡洞といった5窟がつくられ,さらに最大の石窟である奉先寺洞(第19洞)が高宗代(670-680)にできたとされている。その造建は,大仏台下の銘文によれば,皇后武氏も脂粉銭2万貫を出して造営をたすけ,長安実際寺善道,法海寺主恵(えけん)が工事を検校(けんこう)し,営構大使に司農寺卿韋機,副使に東面監上樊元則(はんげんそく)が選任され,支料匠に李君瓚,成仁威,姚師積(ようしせき)らが当てられ,672年(咸亨柱国3)4月1日に起工,675年(上元2)12月30日に落成した。679年(調露1)8月15日の勅で大奉先寺をその前庭におき,翌年1月15日には完成した。ついで則天武后時代に浄土洞,極南洞がつくられ,西山南方までいたり,また仏龕も多数つくられている。則天武后末期から玄宗時代にかけて,対岸東山に看経洞,擂鼓台などが開かれた。竜門の造像記のうち紀年龕は660年代に141,670年代が93,720年代が23,730年代は6例となって,竜門における造営活動の推移を知ることができる。竜門北魏窟の技法は,北魏が洛陽遷都ののち,平城の雲岡石窟では示されなかった新しい発展を示し,また奉先寺をはじめ初唐・盛唐のものは洛陽の唐文化を示す。
執筆者:桑山 正進
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雲崗(うんこう)石窟と双璧(そうへき)をなす中国の代表的な石窟寺院で、洛陽(らくよう)市の南約14キロメートルにある。2000年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。石窟のある伊闕山(いけつざん)は伊河の流れを挟んで、西山と東山とに分かれ、石灰岩の岩壁に大小多数の洞窟をうがち、内部にはそれぞれおびただしい数に上る仏像が刻まれている。ちなみにその数は、洞窟1352、龕(がん)750、石塔39、仏像9万7306体と記録(竜門保管所)されている。石窟は北魏(ほくぎ)に始まり、隋(ずい)唐と続き、五代、宋(そう)にわたっているが、その主要な部分は5世紀末から7世紀後半に至る仏教美術の隆盛期に造営された。北魏窟のある西山の石窟群は古陽洞(こようどう)をはじめ、賓陽洞(ひんようどう)、蓮華洞(れんげどう)などが有名で、北魏仏像の優秀な作例が多い。また西山の中央にある奉先寺洞(ほうせんじどう)の大盧舎那仏(るしゃなぶつ)は高さ17メートル余の巨大な石仏で、脇侍(きょうじ)の菩薩(ぼさつ)像、羅漢(らかん)像、神王(しんのう)像、仁王(におう)像などとともに唐代彫刻の最高峰を極めた秀作で、その造像技術の冴(さ)えと品格の高さは特筆すべきである。唐の高宗、則天武后の造建になるもので、675年に完成をみた。また東山の看経寺洞(かんぎょうじどう)などはいずれも唐代の造営。東山の北には白楽天の墓がある。竜門の北魏仏は、雲崗のそれと比べて、造像技法もすこぶる繊細で、作風にも鋭さを内に秘めた優麗典雅な趣(おもむき)が表れている。仏像のもつ幽暗な表情、堂々たる体躯(たいく)、整斉な着衣と裳懸座(もかけざ)、勢いよく流れる雲に乗って飛ぶ神仙のような天人など、いずれも南朝仏像の作風の影響を受けている。
石仏に添えられている造像記や願文も多彩で、北魏の雄勁(ゆうけい)な書風を伝えるものとして『竜門二十品』があり、中国書道史の貴重な資料となっている。
[吉村 怜]
『水野清一・長広敏雄著『龍門石窟の研究』全3巻(1979・同朋舎出版)』▽『久野健・杉山二郎著『龍門・鞏県石窟』(1982・六興出版)』▽『龍門文物保管所・北京大学考古系編『中国石窟 龍門石窟』全2巻(1987、1988・平凡社)』
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ロンメン石窟。中国河南省洛陽の郊外,伊水の両岸にある仏教遺跡。494年北魏の孝文帝が大同から洛陽に遷都してから雲崗(うんこう)石窟にかわって造営された。北魏のものは14窟で,賓陽(ひんよう)中洞は帝室の造営として代表的なもの。隋・唐代にも継続され,高宗時代の670~680年に最盛期を迎え,奉先寺洞の高さ13mの盧舎那仏(るしゃなぶつ)とそれをとりまく立像は偉観である。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…ところが後期になると,漢化政策の一環として486年(太和10)に始まった胡服から漢族の服装への一連の服制改革により,仏像も褒衣博帯式の中国風衣装をつけ,中国化が進んだ。この傾向は494年,北魏が洛陽に遷都し,伊水に臨む西山に営んだ竜門石窟においていっそう本格化し,古陽洞,賓陽洞などはさらに北魏上流階級の貴族文化を反映して,繊細で装飾的傾向が目だった。これは近傍の鞏県(きようけん)石窟でも同様である。…
…しかし浄土信仰の台頭は5世紀初めの慧遠(えおん)による結社念仏をもって嚆矢(こうし)とし,6世紀以降北魏に曇鸞(どんらん),隋・唐期に道綽(どうしやく),善導が現れて中国浄土教の最盛期を迎えた。6世紀初めには竜門石窟において無量寿仏の名で阿弥陀如来が造立され,同じころから阿弥陀三尊や阿弥陀浄土を表す〈西方極楽浄土変〉(変相図)が作られるようになった。浄土信仰の最盛期を迎えた唐代には多くの浄土変が作られ,《歴代名画記》には長安や洛陽の寺院の壁画に多くの浄土変の存在が記録されている。…
※「竜門石窟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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