翻訳|neurosurgery
脳・脊髄(せきずい)をはじめ、末梢(まっしょう)神経や自律神経を含むすべての神経系の外科的疾患(先天性の形態異常、腫瘍(しゅよう)、血管障害、炎症、外傷、機能的疾患など)を扱う診療科目で、神経外科ともいい、正式には脳神経外科という。
日本では医学界の独自の発展過程から、脊髄疾患の一部は整形外科でも扱われ、末梢神経の疾患も整形外科や形成外科で扱われることが多い。したがって、脳神経外科の対象となる疾患で中心となるのは中枢神経系であり、なかでも脳の疾患が圧倒的に多い。
歴史的にみると、古代エジプトやギリシア時代にも脳手術が行われていた形跡がある。しかし、この古代史的脳手術は硬膜外の操作にとどまり、かつ今日のような科学的根拠に立脚したものではなく、てんかんや精神障害を対象とした、多分に呪術(じゅじゅつ)的色彩の濃いものであったと考えられている。近代的な脳外科の発生は、1879年にマイスウェンWillam Macewen(1848―1929)が髄膜腫と思われる脳腫瘍を摘出したが(患者は術後8年間生存)、この手術が記録にとどめられた脳腫瘍の世界最初の手術例と思われる。また、84年イギリスのゴッドレーRickman Godlee(1849―1925)が、無菌法を用いて脳腫瘍の摘出に成功した。脊髄腫瘍に対しては、イギリスのマイスウェンやホースレイVictor Horseley(1857―1916)が摘出に成功している。ドイツではクラウゼFedor Krause(1856―1937)が著明な外科医で、1892年に三叉(さんさ)神経痛に対する除痛手術、1913年には松果体腫瘍の摘出術を行っている。このように脳神経外科は19世紀末にヨーロッパで発祥し発展した。しかし、現代のような脳神経外科学の体系が築かれたのは、20世紀になってからのことである。すなわち、ヨーロッパで誕生した脳神経外科は、1912年にハーバード大学教授に就任したクッシングHarvey W. Cushing(1869―1939)によって、アメリカで華々しく発展した。クッシングは生涯に約2000例の脳腫瘍を手術し、そのすべてに詳細な絵をつけて記録を残している。クッシングによる業績は膨大なもので、電気メスを導入したり、クリップなどの道具をくふうし、かつ多くの手術法を開発した。クッシング現象の発見、下垂体腺腫(せんしゅ)の病態と治療に関する研究、クッシング病とよばれているACTH産生腺腫の発見や末端肥大症の病態に関する研究などは特筆すべき業績である。さらに脳腫瘍の今日の組織学的分類の基礎を築き、悪性脳腫瘍に対する放射線治療を導入するなど数えればきりがない。脳神経外科の父と称され、アメリカ脳神経学会はその業績を称えてクッシングソサエティーCushing Societyとよばれている。そして、アメリカのダンディWalter E. Dandy(1886―1946)の気脳撮影やポルトガルのモーニスの脳血管撮影の創始は、診断法の急速な進歩を促し、この時点で今日の脳神経外科学の原型が完成された。その後、麻酔法や輸液・輸血の進歩、抗生物質の導入による感染対策、ステロイドホルモンなどによる脳浮腫対策が講じられ、脳神経外科手術の安全性が高められて、1950年以降、飛躍的に普及するに至った。そして1960年代なかばから、手術用顕微鏡が導入されて、従来不可能とされていた手術が可能となり、さらに1971年になって開発されたCT(コンピュータ断層撮影法)は、診断面において計り知れない進歩をもたらした。また一方では、1947年にスピーゲルE.A.SpiegelとワイシスH.J.Wycisは、きわめて小さい穿頭孔(せんとうこう)から行う定位的脳手術により、不随意運動や頑固な痛みに対する治療を行った。直径1ミリメートル以下の脳の血管吻合(ふんごう)術も確立され、またレーザー光線などの導入により、従来多くの困難を伴った手術をより安全にできるようになりつつある。1980年代にはMRI(磁気共鳴映像法)が開発され、脳の画像診断はいっそう明瞭(めいりょう)正確になってきた。その後今日に至るまで、画像はさらに鮮明になり、同時に三次元画像の描出や、MRIを用いた血管撮影法MRA(magnetic resonance angiography)が開発されてきた。1970年代からは脳磁場を測定するSQUID(superconductive quantum interference device)が開発され、脳内電流の発生源や誘発磁場の検査である脳磁図EMG(magnetoencephalography)が開発された。これら、検査法、手術法の進歩とともに放射線治療も大きな役割を担っている。脳腫瘍の放射線治療には超高圧X線Linac(linear accelerator)による照射がもっとも一般的に行われているが、アイソトープを局所注入する腫瘍内照射法brachy therapyも行われてきた。1950年代からはサイクロトロン、速中性子線照射法や原子炉を用いたホウ素中性子捕捉療法なども行われた。最近では、シンクロトロンを用い、炭素やネオン原子核を照射する重粒子線治療も臨床に応用されるようになり、わが国では、1994年(平成6)から脳腫瘍に対する治療が始っている。
脳の局所放射線治療に関してはスウェーデンのレクセルLars Leksellが微細な直径のガンマ線を集中させる装置を考案して、ガンマユニット(ガンマナイフと俗称される)を開発した。この方法によると脳の局所に高線量のガンマ線を集中照射できて、しかも周辺の正常脳に対する被爆量を最小限にとどめることができるので、脳腫瘍のみならず、脳動静脈奇形も開頭することなしに治療が可能になった。
一方腫瘍内にアイソトープを注入する腫瘍内照射法は放射線被爆防御のための困難さがつきまとうので、針の先から電気的にX線を照射できるフォトエレクトロン定位的放射線治療装置PRS(photoelectron radiosurgical system)が開発された。この方法は、手術で取り残された腫瘍の術中照射法としても今後広く活用されるようになると期待されている。このように脳神経外科は、理工学系の新技術を絶えず取り入れながら、低侵襲な、より安全、確実な診断、治療法へ向けて進歩し続けていることがわかる。
[加川瑞夫]
脳および神経系の疾患を対象に外科的治療を行う外科の一分野。正式には脳神経外科という。脳に対する手術はたいへん古くから行われていたと考えられ,石器時代の遺跡から頭骨に穴を開けて脳を露出する穿顱(せんろ)術が行われたとみられる人骨が見つかっているし,インカの遺跡からも同様の頭骨や穴を開ける道具が発掘されている。しかし,近代科学としての脳神経外科学が発展したのは,無菌法や麻酔法の確立によって外科学が急速に進歩した,19世紀後半以後のことである。しだいに確立されてきた外科的技術と,P.P.ブローカ,J.H.ジャクソン,C.ウェルニッケらによる脳の解剖学,生理学,病理学的研究によって,神経や脳への外科的治療が行えるようになってきた。1884年にはイギリスのゴッドリーRickman John Godlee(1859-1925)がはじめて脳腫瘍の摘出に成功している。その後,X線の発見やその他の補助診断法が開発されるなかで,脳外科は神経学とも密接な関係をもつようになったが,これらを結合させ,近代脳神経外科学を確立したのはアメリカの医師クッシングHarvey William Cushing(1869-1939)であった。彼のクリニックは世界的に有名となり,1939年に没するまで,多くの学者を送り出した。日本でも昭和の初期から脳の手術が行われたが,今日のような隆盛がみられるようになったのは第2次大戦以後のことである。48年に名古屋大学教授の斎藤真によって日本脳神経外科学会が設立され,51年には東大医学部に脳神経外科学の講座が新設されて以来,各地の大学にも講座が設置されるようになった。
脳神経外科で扱う疾患は,脳腫瘍をはじめ,脳血管障害,頭部外傷,脳の先天奇形,脳機能障害など,きわめて多種類である。これらのうち,脳血管障害は日本人の死因のうちでも第2位を占め,交通事故などによる頭部外傷も少なくない。このように需要の多い外科にもかかわらず,専門医の数は少なく,専用の施設も少ない。また確立されてからまだ1世紀にも満たない分野であるだけに,未知の領域も少なくなく,今後の研究が期待される。
→外科
執筆者:山口 登
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…J.リスターの画期的な消毒法の発見(1867)は,近代外科学に光明をもたらし,外科学は急速に進歩し,優秀な外科医が輩出した。各部門での専門化も高度となり,一般外科から整形外科,産婦人科,泌尿生殖器科,耳鼻咽喉科,眼科などが分化し,近年では脳外科,胸部外科などが,ごく最近では麻酔科,形成外科,小児外科などが独立することになった。
[最近の発達]
第2次大戦後の40年間の外科学の進歩には目をみはるものがあるが,これは無菌法,抗生物質の発見,麻酔法の発達,輸血・輸液療法の確立に負うところが大きい。…
…今日では弁置換手術や心筋障害に対するバイパス手術などが日常的な手術として行われるようになり,心臓も外科医を遠ざける領域でなくなった。
[脳外科の発達]
脳外科は20世紀初頭に活躍したクッシングHarvey Cushing(1869‐1939)を先駆者とする。脳動脈撮影法は日本の清水健太郎,佐野圭司により完成されたものであるが,これは脳腫瘍などの脳疾患の診断に欠くことのできないものである。…
※「脳外科」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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