舞台照明とは光をもって劇芸術の創造に参加することをいう。劇芸術には,演技者,音楽家,舞踊家など,舞台に出演する人たちのほかに,舞台装置,舞台照明,舞台衣裳,音響効果など,スタッフとよばれるさまざまな仕事がある。作家や画家のような個人芸術家とちがって,ふつうこのようなスタッフはすべて演出家の意図を実現するために協同して仕事をしなければならない。日本の伝統芸能(歌舞伎,能)のように演出家がいない場合は,歴史と経験のなかで練磨された伝承のやり方に従い,個々のスタッフがばらばらに,恣意的な創意を加えるべきではないだろう。
舞台照明には視覚と時間の二つの要素がある。照明の光は物体に当たり反射してから初めてその存在があきらかになる。舞台において物体とは演技者と舞台装置であり,物体をいかに見せるかということは照明の仕事であると同時に,演出の意図であり,舞台美術の領域でもある。視覚の面では舞台美術と照明はつねに協同作業をすることになる。舞台の時間は実人生の時間とはちがう。一瞬のうちに昼から夜になることもあるし,現実の時間とは無関係な心理や情念の流れもある。舞台照明における時間の要素とは,こうしたさまざまな時間を選択し,劇の状況,演出のねらい,せりふ,音符,演技者の動きや表情などに応じた照明変化の速度を決めることである。
舞台照明の歴史は1879年,エジソンとスワンによる白熱電灯の発明から始まる。電灯発明当時はルネサンス以来の絵画的,写実的な舞台装置であったため,照明は平たんに明るくするだけでよく,創意工夫は求められなかった。したがってそれは電気技師の仕事の一部にすぎなかった。1920年ころ,舞台美術家であるとともに演出家でもあったスイスのアッピアAdolphe Appiaとイギリスのゴードン・クレーグの2人が,前者はオペラ,後者は演劇の分野で,照明の重視と光と影による立体的,象徴的な舞台装置を提唱した。当時の照明技術では両者の提案を実現することができず理論倒れに終わったが,第2次大戦後,再開したバイロイト祝祭劇場の総監督ワーグナーWieland Wagner(1917-66。R. ワーグナーの孫にあたる)が,アッピアの理論を継承し,演出と照明,舞台美術のみごとな融合を果たした。日本の近代的な舞台照明は旧帝国劇場(1911開場)から始まり,本格的な発展は1923年の関東大震災以後のことになる。遠山静雄がこの分野での先駆者であり,門下から多くの舞台照明家を輩出し現在に至っている。
舞台照明を実現するには舞台照明設備を計画しなければならない。劇場にすでにある設備を利用する場合と,特定の上演のためだけに設備する場合とがあり,前者はヨーロッパのレパートリー・システムによる国公立劇場,後者はロングラン・システムによるアメリカのブロードウェーの劇場に代表される。日本の劇場は設備を持つ点ではヨーロッパ型だが,商業劇場では原則として1ヵ月単位の公演システム,公共ホールでは短期間の貸劇場システムと,欧米とは異なる運営方式をとっているために,劇場形態においても照明設備においても独特のものになっている。
舞台照明設備には以下の要素がある。(1)電源 日本の場合は100V。劇場の規模に見合った容量を確保する。(2)負荷回路 照明器具を点灯するための配線で,回路数が多いほど水準の高い照明が計画できる。(3)調光装置 照明をコントロールする心臓部であり,舞台を見ながら操作する部屋を調光室という。歴史的には,金属抵抗器式,変圧器式,真空管式などさまざまな調光システムがあるが,現在は半導体によるサイリスター式がほとんどである。これにはコンピューター式と手動式とがあり,時代の趨勢はディジタル式コンピューター調光装置に向かっている。(4)照明器具 代表的なものはレンズ,反射鏡,電球からなり,一定の部分だけを他より明るく照らすためのスポットライトである。レンズを欠くスポットライトもあるが,平凸レンズ,フレネルレンズ,楕円反射鏡を持つエリプソイダルの各スポットライトが多用される。光源は白熱電球,ハロゲン,ヨウ素のほかに,クセノン,HMIなどの高圧放電灯も使用する。客席後部や天井から演技者をピックアップする(スポットの中にひろう)ために特別に設計されたものをフォロー・スポットという。舞台上部にはスポットライトをつり込むために昇降装置付きのフライブリッジ,照明バトン(サス・バトンともいう)を設備する。また舞台全体を均一に照らすためには,舞台上部に数列につってあるボーダーライトがあり,また舞台と客席の境目の床には下部から散光照明としてのフットライトがある。ホリゾントを明るくするためにはホリゾントライトがあり,上部にあるものをアッパー・ホリ,床に置くものをロー・ホリと略称する。ふつう客席天井にはシーリング投光室,客席側面にはフロントサイド投光室を作るが,欧米では投光室を作らず壁面にスリットを設けて代用する例もある。プロセニアム劇場(額縁舞台の劇場)ではすべての照明器具を観客から見えないように配置するのが原則だが,円形劇場のような非プロセニアム劇場では構造上照明器具を隠すことができず多くが露出する。
即興的な上演を除いて,演劇では台本,オペラでは楽譜からすべてが始まる。舞台照明家stage lighting designerは台本または楽譜を熟読し,演出家,舞台美術家と打合せを重ねつつ照明の基本的な構想を考える。立(たち)稽古に参加して,演技者の動きとその範囲をメモしながら,舞台装置のデザインと平断面図,衣裳のデザイン,小道具の位置,音楽や効果のポイント等と照明の構想を重ね合わせ,表現の力点,明るさ,光の方向,色彩,明暗の分布について計画を具体化していく。稽古場での最終段階である通し稽古が行われる前後に,舞台照明の視覚面の設計図である照明仕込(しこみ)図と,時間についての設計図であるキュー・シートを完成させる。
照明仕込図とは劇場の平面図と,舞台装置の各場面平面図に照明器具の種類,配置,投光角度と照射範囲,使用するカラー・フィルターを記入したもので,照明器具は線と記号,フィルターは番号で書かれている。劇場の平面図には舞台上部の仕込みが全場面にわたって書き込まれ,これを総合仕込図という。ほかに舞台床面と側面の仕込図,舞台装置の各場面平面図に記入された各場仕込図とがあるが,後者は単純な上演の場合には省略することもある。
台本または楽譜には照明のきっかけ番号(キューcue)が書き込まれ,このキュー・ナンバーに従って,照明変化の速度と照明器具の点滅,明るさ,色彩などを図表化したものがキュー・シートである。照明仕込図とキュー・シートは,同じものが照明の全オペレーターに渡り,劇場における仕込み作業,照明合せ,舞台稽古を経て修正が繰り返され,初日には舞台照明が完成して開幕する。
執筆者:吉井 澄雄
古くから多くの民俗芸能が街路,寺社の境内あるいは山野で行われていたが,そこでの照明は言うまでもなく自然光であった。のち能は舞台のみに屋根を架すことで,仮面,装束など極度に洗練された演劇的記号の様式化を完成させるが,その照明は舞台を北面させることで自然光の直接照射を避け,非日常的な演劇空間を巧妙に現出させている。江戸中期(18世紀初頭)における歌舞伎劇場は観客席も屋根を架した全蓋式となり,採光は東西両桟敷の上部に障子を入れた〈明り窓〉から行われた。舞台上の明暗はこの明り窓の開閉によった。いずれにしても舞台の照度は低く,それゆえに舞台衣裳の柄,扮装,演技の様式は誇張されることになった。生活上の灯火用具として,江戸期を通じて使用された蠟燭(ろうそく)や灯心などの光源は劇場の内外で多用された。特に提灯は火袋に役者の名や紋を入れることができたので装飾的,儀式的な効果として使われた。劇場の見物席,両側の桟敷上方に役者の名前などを書いてつるす〈場吊り提灯〉などその慣習は今も劇場に伝わっているが,提灯の灯具の機能・特性からは,舞台全体に光を与える全体照明としての効果は少なかった。むしろ部分照明のための携行用の灯具として角形の燭台に長い柄をつけた〈面明(つらあかり)〉または〈差出し〉と呼ばれる灯火用具が舞台や花道の役者の表情を強調する手法として用いられた(具体的には2人の後見(こうけん)が前後から差し出して照らす)。舞台上での蠟燭,カンテラの使用は,しばしば劇場火災を引き起こしたので,法令では禁止されることが多かった。
明治になると,石油ランプ,ガス灯,アーク灯などの新しい照明器具が舶来して,劇場技術としての照明は急速な変化を示す。ガス灯は横浜で1873年ゲーテ座,74年に湊座にその灯を点じ,東京では78年の新富座再建で劇場の外はもちろん場内270ヵ所にガス灯がともり,8月には夜芝居が興行された。石油ランプは供給設備を必要としなかったので広く普及し,明治20年代に道頓堀の5座以下が,これにより夜間興行を可能にしたと記録されている。夜間の興行は今日ではまったく当然のこととなっているが,それは当時にあっては画期的なことであった。また発電機を伴ったアーク灯は1883年京都の祇園歌舞練場で,87年に東京の千歳座(のちの明治座)で使用される。白熱電灯は89年東京歌舞伎座の開場に際して設置された。このように劇場が競って新しい照明技術を採用した事例が初期の照明史には残っている。舞台は同一空間で,いくつかの場面を次々に演出するために,幕や大道具を転換して場面を変える機構を設けているが,幕や大道具による設定状況をさらに,その場面ごとに,照明の明暗で,ときには華やかに,ときには陰惨な雰囲気を創出する手段が新しい照明技術によって提供されることとなった。舞台の照明が自在に変化できるようになることで,舞台美術の装飾的な様式性からしだいに写実的な現実再現をめざす試みも可能となっていったのである。
→演出 →舞台美術
執筆者:立木 定彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
舞台照明とは舞台上のあらゆる光の効果をいい、演劇・舞踊・音楽などをはじめ各種催し物のすべての光を扱う仕事であり、今後もますます発展する光の総合芸術分野である。基本的には人工照明により物を見やすくする技術で、光の明暗、光の方向、光の変化、光の色彩、光と影による光の配置を基礎とする。舞台芸術は、台本・演出・演技という主体的な要素と装置・音楽・衣装・音響効果などの副次的な要素からなるが、舞台照明はそれらすべての要素と有機的に関連し表現されたときに光の芸術としての特性が発揮される性質のものである。舞台照明は演劇照明、音楽照明、舞踊照明に大別され、各ジャンルの演出や演技のスタイルにより照明技法が異なる。
演劇の初期においては演技は屋外の昼光の下で行われた。しかし、舞台が徐々に屋内に移っていくにつれて、人工的な舞台照明の必要性が増していった。初期の人工光源には油灯、ろうそく、石油ランプ、ガス灯などがあったが、これらはただ舞台を明るくするという目的であり、ときには舞台より客席にガス灯が点灯されて話題になったりもした。歌舞伎(かぶき)ではろうそくによる「いざり灯(とう)」(現在のフットライト)、差出(さしだ)しともいう「面明(つらあか)り」(現在のスポットライト)、「るり灯(とう)」(現在のステージライト)などである。1878年イギリスのスワン、その翌年アメリカのエジソンが炭素電球を発明したときから近代の舞台照明が始まる。1920年ごろに舞台美術の視野から照明の重要な役割を提唱したのは、スイスのA・アッピアとイギリスのG・クレイグである。照明の発達は光源、照明機器の発達と不可分である。光源はアーク灯、タングステン・ランプ、ハロゲン・ランプ、キセノン・ランプへと発展し、調光装置は金属抵抗式、変圧器式、真空管式を経てエレクトロニクスの発達に伴い半導体を利用したサイリスタ式となった。今日ではバリライトやレーザーライトの登場により複雑多様な照明が可能となった。
舞台照明は光によって空間と時間を造形するが、いずれも人間の視覚によって感受される。〔1〕明暗 光の適度な明るさは観客に華やかな気分をもたせるが、暗い照明は観客を疲労させ不快感を与える。一般に舞台では200ルクスから3000ルクスの広い範囲で使用するが、必要な照度の値は上演される催し物の目的による。〔2〕光と影 物体に立体感を与え陰影を鮮明にする本影と半影があり、光の造形に欠くことができない。〔3〕光の方向 光源から照射される光の方向で、対象物に対しての光源の角度をいう。季節・時刻・方位によって自然光線の効果を暗示する場合と、下光・側光・斜光・上光・背光により人物を立体的に表現する場合がある。〔4〕光の変化 情景と時間の経過や変化、また現実から幻想などへと一瞬に変えることができるので、舞台照明の最大特性といえる。特殊効果器具の使用を含めおもに調光装置dimmer machineの操作で行う。〔5〕光の色彩 一般にカラー・フィルターを使用するが、これはアセテートとポリエステルが原材料で50~60色ある。色彩の基準はマンセル記号によるが、あくまで舞台照明独自のものである。
実際的な舞台照明の仕事のシステムは、照明設計者(プランナー)と操作者(オペレーター)との協同作業で行う。演劇照明では、プランナーは台本を読んでイメージ・プランを考え、稽古(けいこ)中の演技者の動きをメモして、演出者の指示に従い各場面仕込図や総合仕込図などのデスク・プランをたてる。音楽照明では、オペラやミュージカルは台本と楽譜により演劇と同様の作業を行うが、コンサートの場合は、プランナーはセット・プランで仕込図を計画し、リハーサルで照明のきっかけなど時間的な変化を図表化したキュー・シートcue seatやデータを作成する。舞踊照明では振付師との打合せにより計画する。オペレーターの仕事は器具の配置、調光卓の操作、人物のフォローなど、プランナーとの相互の完全な理解と融合が必要である。いずれの照明も舞台稽古によってオペレーターが上演用のデータを記録する。
欧米ではオペラ、バレエ、演劇などの専門劇場に分別されるが、わが国では歌舞伎、文楽、能を除いて専門劇場が少なく、多目的ホールと称する特殊な形態となっているために照明設備が一定せず、多種多様な器具の操作の技術をはじめ、時間や経済の制約にもかかわらず国際的に高い技術水準を保っている。照明設備は電源と照明器具と調光装置からなる。照明器具の配置は基本的に舞台上部、床部、幕前のエリアとなる。その用途に応じて基本的に、均等な光を与えるフラッドライトfloodlightと、集光した光を与えるスポットライトspotlightの二つがある。プロセニアム劇場(額縁舞台をもつ劇場)の場合、舞台上部前方よりプロセニアムライトprosceniumlight、舞台全面照射のボーダーライトborderlight、立体的な光を造形するサスペンションライトsuspensionlight、多様な色彩のアッパー・ホリゾントライトupper horizontlightなどをつり下げる。床部にはフットライトfootlight、側方光線のタワーライトtowerlight、ステージ・スポットライトstage spotlight、ホリゾント専用のロアー・ホリゾントライトlower horizontlightなどを置く。幕前には客席側面のフロントライトfrontlight、天井からのシーリングライトceilinglight、演技者をフォローするセンターライトcenterlightなどを設置する。円形劇場や野外劇場では設備は多少異なる。
[牛丸光生]
『穴沢喜美男著『舞台照明の仕事』(1953・未来社)』▽『牛丸光生著『やさしい舞台照明入門part1、part2』(1975、80・レクラム社)』▽『遠山静雄著『舞台照明とその周辺』(1986・島津書房)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…現代においては,客席が舞台を完全に囲むいわゆる円形劇場や,演技空間と客席とが同一の空間になっている劇場が再評価されているが,この傾向の背後にあるのは,演劇を単に現実の記号としてとらえ,現に存在している観客を無視するというやり方に反省を加えて,演劇を自律的なものとしてとらえ直そうとする考え方である。 2種類の舞台の違いは,劇の表現手段のうち俳優の演技以外のもの,特に舞台装置や舞台照明のような視覚的手段のあり方の違いにも関連がある。一般に,額縁舞台では精巧な装置が用いられるのに対して,張出舞台では装置は象徴的になったり,簡略化されたり,あるいはまったく用いられなかったりする傾向がある。…
…(2)箱型装置の使用 19世紀半ばから舞台上の部屋は三方を壁で囲まれた上に天井のついたものとなり,〈第四の壁〉の想定が自然にできるようになった。(3)舞台照明の変革 観客世界を無にするには暗い客席のほうが有利だが,1810年代のガス灯照明の始まりでこれがかなり可能となり,1880年代に一般的となった電気照明によって完全に客席を闇に沈められるようになった。したがって〈第四の壁〉の完全な成立は近代劇の確立と期を同じくしたが,現代演劇は再びこの壁を崩して,舞台と客席の境をあいまいにしたり,イリュージョンを排したりするものが多くなっている。…
… しかし,舞台美術が絵画や彫刻と違う点の一つは,時間の要素が加わっているところである。朝から夜まで,あるいは月日の経過,場所の変化や移動などが,舞台の進行とともに,舞台照明の変化や舞台装置の移動,場面転換などによって表現される。また,絵画や彫刻がそれ自体で独立しているのにくらべて,舞台美術は演劇を構成する戯曲,演出,俳優の演技,照明,音楽,音響効果などのさまざまな分野とかかわり合いながら成り立っている。…
…これをルントホリゾントRundhorizont,さらに上部がドームのように湾曲したものをクッペルホリゾントKuppelhorizontと呼んでいる。漆喰(しつくい)やコンクリートの壁面として舞台に固定されたホリゾントもあるが,舞台装置や舞台照明プランによっては不必要な場合もあるので,布を金属のパイプに張り,舞台上部へつり上げるなど移動可能に設備されたものが多い。最近ではエフェクトマシン,スライドプロジェクターなど照明器材の発達により,夕焼けや嵐をはじめさまざまな空の写実的情景はもちろん,火炎や洪水の特種効果,心理的・抽象的な表現にいたるまで効力を発揮することになった。…
※「舞台照明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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