改訂新版 世界大百科事典 「舞台衣裳」の意味・わかりやすい解説
舞台衣裳(装) (ぶたいいしょう)
舞台で着用される衣服のこと。その一つは歌手や演奏者が音楽会などで着用する場合であり,他の一つは演劇,舞踊,オペラ,ミュージカル等の〈舞台芸術〉で俳優や踊り手がその役柄を表現するのを外観から助けてゆくものである(なお,舞楽,能,狂言の場合は〈装束(しようぞく)〉という語を用いる)。
舞台衣裳の役割
ここでは以下,〈舞台芸術〉の衣裳を中心に述べるが,舞台衣裳について考えるための出発点は,まず,舞台衣裳とは俳優の〈扮装〉に関して(もっとも)大きな部分を占めるものであるという点であろう。舞台衣裳の概念をさらに明確にするために,この〈扮装〉に含まれる種々の他の隣接要素を見てみると,まず〈メーキャップ(化粧)〉があり,特にその誇張されたものとしての歌舞伎,京劇の隈取りはよく知られている。そして日本の伝統芸能や古代ギリシア劇以来,現在まで用いられている〈仮面〉がある。また,〈かつら(鬘),ひげ〉(これはかつら屋が担当する)や,帽子,笠,冠等また頭巾(ずきん)や鉢巻などの〈冠物(かぶりもの)〉,靴,草履,スリッパ等の〈履物(はきもの)〉,また〈装飾品(アクセサリー)〉があり,さらには眼鏡,刀剣,傘,扇子等の〈持(もち)道具〉,日本また西洋の〈甲冑(かつちゆう)〉,裸体の肥満型や動物などの〈縫いぐるみ〉,襦袢(じゆばん),褌(ふんどし),腰巻,ペチコート等で観客に見せる場合の〈下着〉,体格の欠点を補い,また肥満体や老人に扮するなど特殊な体型を形作るための〈着肉(きにく)〉,片手片脚が切断された体型を作るための仕掛や宙吊り用の装置などの〈下拵(したごしら)え〉,頭巾,手拭(てふき),ゲートル,足袋,前掛等の〈小裂(こぎれ)〉といったものがある。これでまず,衣裳のさししめすものの範囲がかなり明確になったと思う。
そして,演劇は総合芸術といわれるように,いろいろの要素が集まって成り立っているものだから,舞台衣裳の場合も他の諸要素との関連において,日常の衣裳とは違う幾つかの点に注意を払わなければならない。まずそれは単に俳優の好みで決められるものではなく,その俳優の扮する役柄のためのものである。俳優はありとあらゆる古今東西の人物,場合によっては人間以外のものにまで扮さなければならない。衣裳は人種,国,男女,職業,老若,貧富の別だけでなく,その人物の性格,趣味を表現する際に外面から演技を手助けするのである。そして次に,衣裳は戯曲の内容を伝え,演出の意図を表現するものでなければならない。写実的なものの場合は日常の衣服に近いものとなるであろうが,ある様式化が要求されるときにはシルエット・色彩・素材の選び方,製作の方法等でその意図を表現することになる。また,衣裳は背景の舞台装置の中におかれるものである。両者を統一した様式にする場合もあろうし,装置は様式化・簡略化するが衣裳は写実的ということもあろう。舞台照明との関連でいえば,演劇ではそれほど極端な色の明りを使うことはないが,バレエやレビューの場合は光の色と衣裳の色との関係には特に気を配る必要がある。その組合せによってはまったく違った色相に変ずるからである。これらの点を効果的に生かし,芸術的表現を積極的におし進めてゆくことが〈舞台衣裳家〉の役割であり,それは演劇創造の場において重要な位置を占める。衣裳家は衣裳プランを立てデザインしてゆく上で,〈調和〉ということにつねに留意する必要がある。それは日常の衣服と違って,あえて意識的に作り出さなければならない登場人物ひとりひとりの頭から足先までの色調・様式・形の調和,対演技者同士の調和,同一場面の登場人物全体の調和,またそれらの横の関係に対して戯曲を縦軸で見た場合の各役ごとの一貫した調和である。衣裳の主要材料は,絹,ウール,木綿,麻,合成繊維等の布地であるが,そのほか毛糸編物,ビニルレザー,皮革,毛皮,羽根,ウレタン,厚紙,金属等が用いられる。舞台衣裳独特のものに〈早拵(はやごしら)え〉という手法がある。芝居の筋の流れの上で十分な扮装替えの時間が確保されない場合には,例えば御端折(おはしより)を形づけ,襦袢を重ねて取り付けてある着物に,これも結び上げた形になっている帯をマジックテープで留めるだけで時間を節約する。一瞬にして別の衣裳に変わる歌舞伎の〈引抜き〉もその例である。
舞台衣裳の歴史
舞台衣裳というものは,戯曲の題材になっている歴史的時代の服装が必ずしもそのままの形で舞台に登場していたものではない。しかし舞台衣裳史を考える場合,一般の服装史と切り離しては考えられないし,演劇史,舞踊史,劇場史とも深いかかわりをもっている。
歌舞伎の衣裳は江戸時代の日常衣服を基にし,能・狂言の装束,人形浄瑠璃の衣裳をとり入れ,それが芸術化され漸次,洗練されて今日の形ができ上がっている。
西洋では古代ギリシア劇の確立とともにその舞台衣裳も定着した。当時の劇場はすり鉢型の丘を利用し少なくとも1000人以上の観客席を持つ野外劇場であったため,衣裳は当時の服装を基調にしていたが全体に大ぶりであった。特に初期のものは大きな仮面を頭からすっぽりとかぶるのが特徴で,口の部分はメガホンの役目をするような形をしていた。ローマ演劇も基本的にはギリシア演劇を踏襲している。
中世に盛んに行われたさまざまの宗教劇は,キリスト教の教義を劇化した〈歌唱礼拝劇〉として出発したもので,最初は教会内で聖職者によって演じられ,衣裳としては祭礼服がそのまま用いられたが,その後,世俗化し新旧約聖書の全体に題材を広げるという形で大規模化していった〈聖史劇〉〈受難劇〉の上演では,場所も市の広場に移り町の同業組合が催すこととなり,大げさな屋台や仕掛物が用いられ,衣裳もしだいにぜいたくなものとなっていった。
ルネサンスでは古典劇や劇場建築の研究が進むにつれ,大がかりな装置や仕掛が飾れる専門劇場が宮廷から独立して建てられる。一方,庶民のあいだではイタリアにコメディア・デラルテが起こり,その人気はヨーロッパの諸国に広がっていった。その特徴としては演劇上演に対する職業意識,仮面の使用,即興性などの点がしばしば指摘されるが,そこでは役柄がそれぞれ決まっていて,代表的なずる賢い召使役のアルレッキーノの衣裳はつぎはぎのぼろを様式化したもので,これはのちの道化衣裳の典型となった。W.シェークスピアに代表されるイギリスのエリザベス朝では,劇場自体の機構を有効に用いて演劇が上演されたので,装置はほとんど用いられなかった。シェークスピアは宮内大臣お抱えの一座に属していたから,その上演では宮廷の衣裳のお下がりがそのまま利用されることが多く,ぜいたくなものではあったが,クレオパトラの役もローマのカエサルの役もそれらのエリザベス朝の衣裳で演じるのが普通であった。
バロック,ロココの時代は舞台衣裳も豪華絢爛たるものであった。ここではオペラとバレエを見のがすわけにはいかない。この両者はルネサンスのイタリア宮廷に始まり,フランスのルイ13世,ルイ14世の宮廷でその黄金時代を迎え,さらに19世紀を経て,〈チュチュ〉と呼ばれるスカート,〈マイヨウ〉と呼ばれる肉色のタイツ,バレエ・シューズの三つの衣裳の要素が完成された。
19世紀の最後の四半世紀には,現代演劇へのめまぐるしい変貌が展開される。ドイツのマイニンゲン一座,そしてそれに影響を受けたフランスのA.アントアーヌの自由劇場,ロシアのモスクワ芸術座の運動などが次々と展開し,劇場機構の変革,回り舞台の出現,ホリゾントの発明,〈第四の壁〉の理論の提唱などが行われたが,ことにこの時期にろうそくに代わって電気照明が登場したことは重要である。これは当時の戯曲における自然主義や心理的リアリズムの理論的背景のもとで,舞台衣裳をもその傾向に従わせることを技術的に可能にしたのであった。以後の舞台衣裳は時代考証,風俗考証が重視されるリアリスティックなものが主流となる。演出の確立とともに衣裳は俳優が個々に勝手に選んで着用するのではなく,舞台美術の一環として確立されていった。20世紀の演劇においては,ずっとこのリアリズムの傾向が舞台衣裳の中核をなしていたが,特に1960年代以降にはそのリアリズムからの反動として種々の演劇運動が展開され,その演劇理論,演出方針によって,単純化・簡素化,流行を追った衣裳,古典の現代化等々,さまざまな試みがなされている。
なお,能の衣裳については〈能装束〉の項を,また〈歌舞伎〉〈バレエ〉については詳しくはそれぞれの項を参照されたい。
→演出 →舞台美術
執筆者:河盛 成夫
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