日本大百科全書(ニッポニカ) 「芝村藩」の意味・わかりやすい解説
芝村藩
しばむらはん
大和(やまと)国式上(しきじょう)郡芝村(奈良県桜井市)周辺を領有した外様(とざま)藩。初名戒重(かいじゅう)藩。1615年(元和1)に織田信長の弟長益(ながます)(有楽斎(うらくさい)、茶人)が所領を三分して、四男長政に式上・山辺(やまのべ)、摂津国島下(しましも)3郡内において1万石を与え、桜井市域西部にある中世城郭戒重城を陣屋に改め、戒重藩と称したが、4代長清のとき北東4キロメートルの岩田村へ陣屋替えが願い出され、1713年(正徳3)に地名も芝村と改称、7代輔宜(すけよし)の1745年(延享2)に藩庁が移された。1737年(元文2)摂津、大和の天領1万3000石を預かり、かくて芝村には旅籠(はたご)、郷宿(ごうやど)、御用商人も集い、上街道沿いに町並みが発展し、寛政(かんせい)年間(1789~1801)には戸数400軒、人口も1600人に達した。1794年(寛政6)には天領預かり御免。11代長易(ながやす)の1863年(文久3)には、天誅(てんちゅう)組浪士追捕(ついぶ)の功を賞せられた。1871年(明治4)廃藩。領域は芝村県、奈良県、堺(さかい)県、大阪府を経て87年再置の奈良県に編入。
[平井良朋]