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若杉五十八 わかすぎいそはち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

若杉五十八
わかすぎいそはち

[生]宝暦9 (1759). 長崎
[没]文化2 (1805).1.17. 長崎
江戸時代後期の長崎派の洋風画家。明和9 (1772) 年若杉家の養子となり,安永9 (1780) 年養父の実子に家督を譲り,さらに長崎会所請払役の久米家の養子となり,寛政6 (1794) 年請払役につく。画業に関する資料は遺作以外皆無で師承関係も不明。作品はヨーロッパの原本を中国の洋画様式にならって描いた本格的な油彩画で,落款は常にローマ字で記してある。主要作品『鷹匠図』 (1790頃,東京芸術大学大学美術館) ,『洋船図』 (1791頃,今宮神社) ,『オランダ風景図』 (神戸市立博物館) ,『花籠と蝶図』 (同) 。(→洋風画

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百科事典マイペディアの解説

若杉五十八【わかすぎいそはち】

江戸中期の洋風画家。一時長崎会所の請払役を務めた。絵は直接オランダ人に学んだらしく,江戸期洋風画家の中では洋画の雰囲気を最も純粋に備えている。代表作《洋船図》《鷹匠図》。
→関連項目長崎派

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

若杉五十八 わかすぎ-いそはち

1759-1805 江戸時代中期-後期の画家。
宝暦9年生まれ。久米家の養子となり,弥十郎と名のる。長崎会所請払(うけばらい)役をつとめた。洋風の油彩画をえがいたが,画歴など不明な点が多い。文化2年1月17日死去。47歳。作品に「蘭船図」「鷹匠(たかじょう)図」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

若杉五十八

没年:文化2.1.17(1805.2.16)
生年:宝暦9(1759)
江戸後期の長崎の洋風画家。長崎会所請払役を勤める。実父は盲人で鍼療を業とした。はじめ伯父若杉敬十郎の養子となり,のち久米豊三郎の娘婿に入って久米弥十郎と称した。西洋画法研究の経緯は不明だが,和蘭通詞吉雄耕牛との接触も考えられる。京都今宮神社へ奉納された懸額「洋船図」に,寛政3(1791)年の銘文があることから,寛政年間(1789~1801)には油彩技法を身につけていたことがわかる。J.E.リーディンガーの銅版画原図とした「鷹匠図」(東京芸大蔵)をはじめ,江戸後期洋風画家中では最も優れた油彩画法を示しており,中国清朝洋風画からの影響も認められる。

(三輪英夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

わかすぎいそはち【若杉五十八】

1759‐1805(宝暦9‐文化2)
江戸後期の長崎の洋風画家。鍼療を営む盲人の子で,長崎会所請払役(会計係)を務める。長崎画壇にあっては在野の画人であったので,経歴や洋風画の伝習経路はほとんど不明である。1791年(寛政3)に京都の今宮神社に奉納された《洋船図》を描いたので,活躍期が推定できる。西洋から輸入された銅版画などを参考として,麻布油彩の本格的な西洋風俗図を描いた。【成瀬 不二雄】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

若杉五十八
わかすぎいそはち
(1759―1805)

長崎の洋風画家。盲目の鍼医(はりい)の子で、長崎会所請払(うけばらい)役を勤めたが、経歴も洋風画伝習経路も不明である。1791年(寛政3)京都の今宮神社に奉納された懸額(かけがく)『オランダ船図』のほか、西洋銅版画に基づく西洋風俗図数点を残しており、その油彩技法は鎖国体制下ではもっとも進歩している。ただし、司馬江漢(しばこうかん)を代表とする江戸系洋風画家のようには、創作的な日本的題材の洋風画を残していない。[成瀬不二雄]

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