日本歴史地名大系 「若狭国分寺跡」の解説
若狭国分寺跡
わかさこくぶんじあと
跡地は
中門跡・南門跡は後世の著しい破壊は受けていたが、位置は判明し、北辺部および東辺部では寺地を限る溝が検出され、一辺が二町(約二一八メートル)であった。四至は条里の線に合致する。塔跡は三間等間で各柱間寸法は二・七メートル(九尺)、初層辺長八・一メートル(二七尺)、基壇辺長は一五・三メートル(五一尺)と判明、礎石二個が原位置に据えられていた。金堂跡は現国分寺釈迦堂の真下で、礎石はすべて抜取られていた。根石群から復原すると、規模は桁行五間で長さ二一・六メートル(七二尺)、梁行四間で長さ一五メートル(五〇尺)である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報