茅野雅子(読み)チノマサコ

デジタル大辞泉 「茅野雅子」の意味・読み・例文・類語

ちの‐まさこ【茅野雅子】

[1880~1946]歌人大阪の生まれ。旧姓増田蕭々しょうしょうの妻。「明星」に短歌発表歌集恋衣」(共著)「金沙集」。

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精選版 日本国語大辞典 「茅野雅子」の意味・読み・例文・類語

ちの‐まさこ【茅野雅子】

  1. 歌人。本名まさ。旧姓増田。大阪出身。蕭々の妻。早くから新詩社にはいり、「明星」誌上に短歌を発表。与謝野晶子山川登美子との合著歌集「恋衣」に名を連ねた。歌集「金沙集」、蕭々との共著随筆集「朝の果実」などがある。明治一三~昭和二一年(一八八〇‐一九四六

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20世紀日本人名事典 「茅野雅子」の解説

茅野 雅子
チノ マサコ

明治〜昭和期の歌人



生年
明治13(1880)年5月6日

没年
昭和21(1946)年9月2日

出生地
大阪・道修町

本名
茅野 まさ

旧姓(旧名)
増田

学歴〔年〕
日本女子大学〔明治40年〕卒

経歴
早くから「文庫」に投稿し、明治33年新詩社に入社。「明星」誌上に短歌を連載し、38年与謝野晶子、山川登美子との共著「恋衣」を刊行。40年茅野蕭々と結婚。大正6年歌集「金沙集」を刊行。大正10年日本女子大教授に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「茅野雅子」の意味・わかりやすい解説

茅野雅子
ちのまさこ
(1880―1946)

歌人。旧姓増田。大阪生まれ。日本女子大学国文科卒業。早く新詩社に入り、白梅と号し清楚艶麗(せいそえんれい)な歌風で知られた。山川登美子(とみこ)、与謝野晶子(よさのあきこ)と共著の歌集『恋衣(こいごろも)』(1905)を在学中に刊行。卒業後茅野蕭々(しょうしょう)と結婚。歌集『金沙(きんさ)集』(1917)刊行の年京都から上京し、晩年まで長く母校教授を務めた。蕭々没後5日目に死去雑司ヶ谷霊園に葬られた。詩、小説、童話も書き、随筆集『朝の果実』(蕭々と共著、1938)、『蕭々雅子遺稿抄』(1956)がある。

[新間進一]

 しら梅の衣(きぬ)にかをると見しまでよ君とは云(い)はじ春の夜の夢

『青木生子著『茅野雅子』(1968・明治書院)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「茅野雅子」の解説

茅野雅子 ちの-まさこ

1880-1946 明治-昭和時代の歌人。
明治13年5月6日生まれ。茅野蕭々(しょうしょう)の妻。新詩社にはいり,明治38年山川登美子,与謝野晶子(よさの-あきこ)と合著歌集「恋衣」を出版,「明星」「スバル」などに作品を発表した。大正10年母校日本女子大の教授となり,晩年までつとめた。昭和21年9月2日死去。67歳。大阪出身。旧姓は増田。本名はまさ。号はしら梅。歌集はほかに「金沙集」など。
【格言など】しら梅の衣にかをると見しまでよ君とは云はじ春の夜の夢(「恋衣」)

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367日誕生日大事典 「茅野雅子」の解説

茅野 雅子 (ちの まさこ)

生年月日:1880年5月6日
明治時代-昭和時代の歌人
1946年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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