コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

山川登美子 やまかわとみこ

6件 の用語解説(山川登美子の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山川登美子
やまかわとみこ

[生]1879.7.19. 福井,小浜
[没]1909.4.15. 福井
女流歌人。本名,とみ。 1900年与謝野鉄幹の東京新詩社に参加,『明星』の主要歌人として活躍。与謝野晶子茅野雅子とともに三才媛とうたわれた。3人の合著による『恋衣』 (1905) があり,抑制のきいた静かな表現のなかに女の愛の真実感を漂わせた歌風に特色をもつ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

やまかわ‐とみこ〔やまかは‐〕【山川登美子】

[1879~1909]歌人。福井の生まれ。本名、とみ。新詩社に入り、「明星」で活躍。与謝野晶子茅野雅子(ちのまさこ)との共著歌集「恋衣」がある。
竹西寛子によるの評伝。副題は「『明星』の歌人」。昭和60年(1985)発表、第27回毎日芸術賞受賞。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

山川登美子【やまかわとみこ】

歌人。本名とみ。別号白百合。福井県生れ。梅花女学校卒。《新声》《文庫》などに短歌を投稿し,1900年新詩社に加盟。与謝野晶子とならんで《明星》の新星として大いに注目され,浪漫主義短歌の進展に大きく寄与した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山川登美子 やまかわ-とみこ

1879-1909 明治時代の歌人。
明治12年7月19日生まれ。33年「明星」に参加し,与謝野晶子(よさの-あきこ)とともに活躍。師与謝野鉄幹への思慕をたち,一族の山川駐七郎(とめしちろう)と結婚するが,2年後に死別。日本女子大にはいり,「明星」に復帰。38年晶子,茅野(ちの)雅子との合同詩歌集「恋衣」を刊行。肺患のため郷里の福井県小浜にかえり,明治42年4月15日死去。31歳。本名はとみ。号は白百合。
【格言など】父君に召されていなむとこしへの春あたたかき蓬莱(ほうらい)のしま(辞世)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

山川登美子

没年:明治42.4.15(1909)
生年:明治12.7.19(1879)
明治時代の歌人。本名とみ。号は白百合。若狭国(福井県)小浜藩酒井家の重臣であった山川家に貞蔵,ゑいの4女として生まれる。明治33(1900)年『明星』に参加,「髪ながき少女とうまれしろ百合に額は伏せつつ君をこそ思へ」などの清楚哀婉な歌風で与謝野晶子と共に活躍した。父の意向に従い結婚したが2年で死別。『明星』に復帰して合著『恋衣』(1905)を刊行。まもなく発病し絶望感や無常感を率直に吐露する作品を発表した。沈痛な響きをもつこの期の歌にも佳作は少なくない。作家山川亮は弟。<参考文献>坂本政親編著『山川登美子全集』全2巻

(板垣弘子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山川登美子
やまかわとみこ
(1879―1909)

歌人。福井県生まれ。本名とみ。大阪の梅花女学校卒業、新詩社に加入、白百合(しらゆり)の称を得た。与謝野鉄幹(よさのてっかん)への思慕を絶ち結婚したが、2年で夫と死別。日本女子大学に入学し、歌集『恋衣(こいごろも)』(茅野雅子(ちのまさこ)、与謝野晶子(あきこ)と共著。1905)を刊行した。『明星』での再起もむなしく肺患を発して中退、郷里小浜(おばま)に帰り療養、薄幸のなかに没した。発心寺の山川家墓地に埋葬。清純哀切、浪漫(ろうまん)味の濃い歌風で出発したが、晩年には現実的なものに移った。[新間進一]
 髪ながき少女(をとめ)とうまれしろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ
『『山川登美子全集』全二巻(1972、73・光彩社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の山川登美子の言及

【みだれ髪】より

藤島武二の華麗な装丁・挿画も内容にふさわしい。全編は6部構成で,特に〈白百合〉の部は歌友山川登美子(1879‐1909)のことを,〈舞姫〉の部は京の舞妓を詠んだ歌で占められる。巻頭歌〈夜の帳(ちよう)にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢(びん)のほつれよ〉。…

※「山川登美子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

山川登美子の関連キーワード渡忠秋白百合女子大学仙台白百合女子大学白百合神奈川県横浜市泉区白百合井関照子岩淵百合子関橋守玉野花子富山定功

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

山川登美子の関連情報