日本歴史地名大系 「草加部村」の解説 草加部村くさかべむら 岡山県:真庭郡久世町草加部村[現在地名]久世町草加部・神(こう)旭川が現勝山(かつやま)町から久世町に流入する右岸の河岸段丘上の平野部に位置し、北は高田(たかた)村(現勝山町)、東・南は惣(そう)村。旭川左岸の野白(のんぱく)も当村に属し、明治三年(一八七〇)の内済取熟談議定証文(福井文書)に「草加部村之内字野白御田地久世村山方善蔵外弐人持分」とみえる。南方の日名(ひな)村・杉山(すぎやま)村(現落合町)と入組んだ高地には神林(しんりん)寺を中心とした神村がある。 草加部村くさかべむら 岡山県:津山市旧苫田郡地区草加部村[現在地名]津山市草加部東北条(とうほくじよう)郡に属し、南は東南条(とうなんじよう)郡野(の)村、東を加茂(かも)川が流れる。往古森(もり)村といい、野村と一村であった。森氏入封にあたり山形(やまがた)と称し、慶長年中(一五九六―一六一五)に郡を二分するにあたり、東北条郡草加部村となる。元禄一一年(一六九八)以後も津山藩領。正保郷帳では田方二二七石余・畑方五四石余、元禄一〇年の美作国郡村高辻帳では三七七石余、うち改出高六三石余・開高三二石余。 草加部村くさかべむら 愛知県:宝飯郡一宮町草加部村[現在地名]一宮町豊津(とよつ)もとは八名(やな)郡に属した。村域に豊川の旧河川敷のあるところから、豊川の氾濫によってこの地帯は豊川の右岸となったため宝飯郡に所属するようになった。元禄五年(一六九二)それまで橋尾(はしお)村を取水口としていた松原(まつばら)用水は、前年の大洪水で取水口を当村と養父(やぶ)村地内に設けることとなった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by