荒船神社(読み)あらふねじんじや

日本歴史地名大系 「荒船神社」の解説

荒船神社
あらふねじんじや

祭神は建御名方命・事代主神。

奥社は荒船山頂上にある。艫岩ともいわ剣が峰けんがみねの中央やや西寄りにある。

荒船神社の祭はお舟祭といわれ、古くは三月一五日であったが、陽暦で四月一五日となり、現在は四月二八日である。字大間の拝殿に納めてある御舟の神輿を、相立あいだての一の鳥居遥拝所まで神幸する。行列の式は、第一に御榊の車が二両、第二に金襴の吹流し付きの鉾車一両、第三に神職騎馬で太鼓を持ち、第四に神職が騎馬で笛、第五に神職・社司が騎馬で幣帛、第六に御舟神輿を子供たちが御綱で引き、最後に村役・氏子総代警固にあたり、約三キロの道程をこれらの一行が行列した。相立の遥拝所で祭祀を執行する。この中に湯立ての神事がとり行われる。


荒船神社
あらふねじんじや

[現在地名]下仁田町南野牧

荒船山(一四二二・五メートル)山上にあり、経津主命を祀る。一宮貫前ぬきさき神社(現富岡市)の摂社。南野牧みなみのまき里宮さとみやに同名の神社があり、里宮と称し、山上の社を奥宮とする。赤木文庫本「神道集」巻七の上野国ノ一宮事に「抑上野国一ノ宮抜鉾大明神ト申ハ、人王廿代安閑天王ノ御時、我国ヘ来給ヘリ、此帝御宇年三月中半ノ比、上野ト信濃境ナル笹岡山ニ鉾ヲ逆立テ御在ス」と書出し、次に天竺より来た旨の荒船大明神の由来を記している。

<資料は省略されています>

と記し、一宮抜鉾神の起源が荒船大明神であることを書いている。笹岡ささおか山は佐久さく山で、荒船山である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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