荻原雲来(読み)オギワラ ウンライ

20世紀日本人名事典 「荻原雲来」の解説

荻原 雲来
オギワラ ウンライ

明治〜昭和期の仏教学者,梵語学者 大正大学教授



生年
明治2年2月10日(1869年)

没年
昭和12(1937)年12月20日

出生地
紀伊国海部郡北田辺町(和歌山市)

旧姓(旧名)
土橋

別名
幼名=竹治郎

学歴〔年〕
東京浄土宗本校〔明治29年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔大正11年〕

経歴
明治30年東京浄土宗本校教授となり、32年ドイツに留学、仏教とサンスクリットを学ぶ。38年帰国し、宗教大学教授、芝中学校長、東京帝大講師などを経て、大正9年大正大学教授に就任。サンスクリット仏典を研究し、漢訳との対照に努めた。著書に「梵漢対訳仏教辞典」「荻原雲来文集」など、参考図書に記念会編「独有雲来師余影」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「荻原雲来」の意味・わかりやすい解説

荻原雲来
おぎわらうんらい
(1869―1937)

明治~昭和期の浄土宗の僧。号は独有。和歌山県海部(あま)郡(和歌山市)の土橋次郎の次男として生まれる。幼名は竹治郎。師僧荻原雲台のもとで得度し、師の姓を継いだ。1899年(明治32)ドイツに6年間留学、梵語(ぼんご)学を専攻。帰国後、宗教大学(現、大正大学)教授となり、仏教梵語を教え、多くの弟子を養成した。『梵文瑜伽師地論菩薩地(ぼんぶんゆがしじろんぼさつじ)』『梵文称友(しょうゆう)造 阿毘達磨倶舎論疏(あびだつまくしゃろんしょ)』をはじめ数多くの著書を刊行し、とくに『漢訳対照梵和大辞典』の編纂(へんさん)に努力したが、生前には完結せず、1978年(昭和53)完全な形で刊行された。

[石上善應 2017年5月19日]

『『荻原雲来文集』増補版(1972・山喜房仏書林)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荻原雲来」の解説

荻原雲来 おぎわら-うんらい

1869-1937 明治-昭和時代前期の僧,サンスクリット学者。
明治2年2月10日生まれ。浄土宗。明治32年ドイツに留学,E.ロイマンに師事し仏典を研究した。帰国後,宗教大(現大正大)教授,芝中学校長,東京帝大講師などを歴任。浅草誓願寺住職。昭和12年12月20日死去。69歳。紀伊和歌山出身。浄土宗宗学本校卒。著作に「梵漢対訳仏教辞典」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荻原雲来」の意味・わかりやすい解説

荻原雲来
おぎわらうんらい

[生]明治2(1869).2.10. 和歌山,田辺
[没]1937.12.20.
サンスクリット語学者。浄土宗の僧。浄土宗学本校を卒業し (1896) ,1899年ドイツに留学,ストラスブール大学の E.ロイマンにサンスクリット語を学び,多数原典および翻訳を刊行。遺稿集『荻原雲来文集』がある。

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367日誕生日大事典 「荻原雲来」の解説

荻原 雲来 (おぎわら うんらい)

生年月日:1869年2月10日
明治時代-昭和時代の仏教学者;梵語学者。文学博士;大正大教授
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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