菅田郷(読み)すがたごう

日本歴史地名大系 「菅田郷」の解説

菅田郷
すがたごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「管田」とあるが、「続日本紀」宝亀七年(七七六)一〇月八日条に「菅田駅」がみえることなどから、「菅田」とする。「和名抄」越中国婦負郡菅田郷の訓注に「須加太」「須加多」とある。「続日本紀」宝亀七年の記事は、美濃国菅田駅と飛騨国大野郡伴有とまり駅との間が遠く、山も険しいため、中間に下留しもつとまり駅を設置するというものである。しかし菅田駅の名はその後みられず、「延喜式」兵部省、「和名抄」高山寺本駅名部には飛騨支路中美濃国内のものとしては武義むげ駅と加茂駅の二駅があげられている。当郷は奈良時代の菅田駅に関連して設定された郷といえようが、武義駅・加茂駅とどう関係するかは不明である。


菅田郷
すがたごう

「和名抄」武藝むげ郡菅田郷を継承したとみられる中世の郷。菅田川流域の現菅田桐洞すがたきりほら菅田笹洞すがたささほら地区に比定される。嘉元四年(一三〇六)六月一二日の昭慶門院領目録(京都大学蔵古文書集)に、亀山法皇から昭慶門院に譲与された美濃国の国衙領の一つとして「菅田郷泰久」が記される。


菅田郷
すかたごう

「和名抄」所載の郷。訓は高山寺本に「須加太」、東急本には「須加多」とある。当郷名は文献にも現在の地名としても残っておらず、故地の比定はもとより困難であるが、推定として「三州志」は、近世須田村(現不明)山田やまだ郷の数納すのう(現山田村)、「越中志徴」「大日本地名辞書」は近世の楡原にれはら郷の杉田すぎた(現八尾町)などをあげている。


菅田郷
すがたごう

「和名抄」に「菅田」と記されるが、訓を欠く。「三代実録」仁和三年(八八七)五月一六日条に「常陸国菅田神」とみえる。「新編常陸国誌」に「按ズルニ今其名ヲ失ス、今新治郡上境村ノ辺ナリ、何トナレバ、三代実録ヲ按ズルニ、貞観中本国菅田神ニ授位ノコトアリ、サテ上境村ニ一旧祠アリテ、姿見明神ト称ス(中略)菅田ト姿ト音同ジクシテ、(中略)コレ古ノ菅田神ナリ」とあり、現新治にいはり郡桜村上境かみさかいに比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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