菅野序遊 (すがのじょゆう)
一中節菅野派の家元名。(1)初世(1756-1823・宝暦6-文政6) 前名3世山彦新次郎。河東節の三味線方であったが,5世都太夫一中と結んで文化(1804-18)末ごろ菅野序遊となり,古曲の復活につとめるとともに40曲近い新作を作曲した。(2)2世(1784-1841・天明4-天保12) 初世の子。前名山彦文次郎。1823年(文政6)2世をつぐ。39年(天保10)都派から分かれて菅野派を立てた。(3)4世(1842-1919・天保13-大正8) 吉原の茶屋桐屋五兵衛の子藤次郎。1851年(嘉永4)4世をつぐ。名人といわれた。(4)5世(1886-1961・明治19-昭和36) 4世の甥菅野利三。1920年5世をつぐ。品格ある浄瑠璃を語った。なお,5世の没後は一中節菅野会で家元名義を預かっている。
執筆者:竹内 道敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
菅野 序遊(5代目)
スガノ ジョユウ
- 職業
- 一中節三味線方
- 肩書
- 菅野派家元
- 本名
- 菅野 利三
- 生年月日
- 明治19年 3月26日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 3代目序遊の甥で養子。大正9年に5代目を襲名。得意演題に「隅田川舟の内」がある。
- 没年月日
- 昭和36年 8月20日 (1961年)
- 家族
- 養父(おじ)=菅野 序遊(3代目)
菅野 序遊(4代目)
スガノ ジョユウ
- 職業
- 一中節三味線方
- 肩書
- 菅野派家元
- 本名
- 菅野 藤次郎
- 生年月日
- 天保12年
- 経歴
- 11歳で4代目序遊を襲名。
- 没年月日
- 大正8年 9月23日 (1919年)
- 家族
- 父=桐屋 五兵衛(吉原6代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
菅野 序遊(5代目)
スガノ ジョユウ
明治〜昭和期の一中節三味線方 菅野派家元。
- 生年
- 明治19(1886)年3月26日
- 没年
- 昭和36(1961)年8月20日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 菅野 利三
- 経歴
- 3代目序遊の甥で養子。大正9年に5代目を襲名。得意演題に「隅田川舟の内」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
菅野序遊(初代)
没年:文政6.12.12(1824.1.12)
生年:宝暦11(1761)
江戸中・後期,一中節中興の祖。江戸吉原の茶屋の生まれ。はじめ河東節の三味線方となり,3代目山彦新次郎を名乗る。寛政初年に5代目都一中の浄瑠璃を聞いて一中節に転向,菅野序遊を名乗る。5代目都一中と協力して「松襲」「羽衣」「廓の寿」「吉原八景」など40曲近い新曲を作り,「信田妻」「競牡丹」「小町少将」などの古典曲を復活させた。本業のほかに山田検校に箏の奥許を受け,染太夫について義太夫200段を学んだ(『一中譜史』)という。
菅野序遊(2代)
没年:天保12.1.10(1841.2.1)
生年:天明4(1784)
江戸中・後期の一中節菅野派の家元。初代の子。父と同じく河東節の三味線方山彦文次郎から一中節に転向して2代目序遊を継いだ。茶,俳諧,書などにも優れていた。6代目都一中の後継者が定まらず紛議したのに反発して,天保10(1839)年都派から分かれて菅野派を立てた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
菅野序遊(初代) すがの-じょゆう
1761-1824* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
宝暦11年生まれ。河東(かとう)節の三味線方から5代都太夫一中(みやこだゆう-いっちゅう)の三味線方となり,一中節の再興に尽力。新曲は40曲におよぶ。義太夫節,長唄,箏曲(そうきょく)にも精通。文政6年12月12日死去。63歳。江戸出身。前名は山彦新次郎(3代)。代表曲に「廓(くるわ)の寿」「鉢の木」「松襲(まつがさね)」など。
菅野序遊(2代) すがの-じょゆう
1784-1841 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天明4年生まれ。初代菅野序遊の子。一中節(いっちゅうぶし)菅野派の家元。父と同様河東(かとう)節の三味線方から一中節にうつる。6代都太夫(みやこだゆう)一中の後継者争いに反発,天保(てんぽう)10年菅野派をたてた。茶,俳諧(はいかい),篆刻(てんこく)などにもすぐれた。天保12年1月10日死去。58歳。江戸出身。前名は山彦文次郎。
菅野序遊(4代) すがの-じょゆう
1841-1919 幕末-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天保(てんぽう)12年9月11日生まれ。一中節(いっちゅうぶし)菅野派の家元。江戸吉原の茶屋桐屋五兵衛の子。初代菅野序遊の門人菅野序国にまなぶ。嘉永(かえい)4年11歳で4代を襲名。名人といわれた。大正8年9月23日死去。79歳。本名は藤次郎。作品に「江戸紫」「品川八景」など。
菅野序遊(5代) すがの-じょゆう
1886-1961 大正-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治19年3月26日生まれ。4代菅野序遊の甥(おい)。大正9年一中節(いっちゅうぶし)菅野派家元をつぐ。昭和36年8月20日死去。75歳。没後,家元名義は一中節菅野会があずかっている。本名は平太郎。前名は菅野利三。作品に「銀鱗」「桜川」など。
菅野序遊(3代) すがの-じょゆう
?-1851 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
2代菅野序遊の甥(おい)。一中節(いっちゅうぶし)菅野派の家元。嘉永(かえい)4年9月17日死去。江戸出身。通称は幾三郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
菅野序遊(1世)
すがのじょゆう[いっせい]
[生]宝暦6(1756).江戸
[没]文政6(1823).12.12. 江戸
一中節菅野派の家元。もと河東節の三味線弾き3世山彦新次郎。5世都太夫一中の浄瑠璃に感激して一中節に転じたという。箏曲と義太夫節にもすぐれていたと伝えられる。5世都太夫一中に協力して 40曲に近い新曲の作曲と,古曲の復活に努力した。一中節中興の祖。
菅野序遊(2世)
すがのじょゆう[にせい]
[生]天明4(1784).江戸
[没]天保12(1841).1.10. 江戸
一中節菅野派の家元。1世菅野序遊の実子。もと河東節の三味線弾き山彦文次郎。のち一中節に転じ,天保 10 (1839) 年8月,都派から菅野派を独立させた。
菅野序遊(5世)
すがのじょゆう[ごせい]
[生]1886.3.26. 東京
[没]1961.8.20. 東京
一中節菅野派の家元。4世菅野序遊の養子。本名菅野平太郎。前名利三。 1921年5世を襲名。作曲に『銀鱗』がある。なお5世没後は菅野会で家元を預り,理事制で運営している。
菅野序遊(4世)
すがのじょゆう[よんせい]
[生]天保12(1841).江戸
[没]1919.9.23. 東京
一中節菅野派の家元。吉原の茶屋6世桐屋五兵衛の子。嘉永4 (1851) 年わずか 11歳で襲名,菅野序国に師事し,上品な風と美音とは明治年間に名人とうたわれた。
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菅野 序遊(5代目) (すがの じょゆう)
生年月日:1886年3月26日
明治時代-昭和時代の一中節演奏家。一中節菅野派家元
1961年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の菅野序遊の言及
【都太夫一中】より
…1781年(天明1)ごろ江戸に下り,92年(寛政4)5世をつぐ。[河東節]の三味線方3世山彦新次郎(のち初世[菅野序遊])と組んで,すたれていた一中節を再興,古い曲を整理し,多くの新曲を作った。一中節の中興の恩人。…
※「菅野序遊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」