華陽院(読み)けよういん

日本歴史地名大系 「華陽院」の解説

華陽院
けよういん

[現在地名]静岡市鷹匠二丁目

静岡鉄道日吉町ひよしちよう駅の南西にある浄土宗寺院。山号は玉桂山、本尊阿弥陀如来。府中寺とも号した。花陽院とも書く。寺伝によれば、幼少の徳川家康が今川氏の人質として駿府にあった時に書筆を学んだ知短が開山で、養育を行った祖母於万(源応院尼・華陽院殿)の墓所という知源院が当寺の前身とされ、家康が慶長一四年(一六〇九)に寺号を華陽院と改めたという(駿河記)。しかし「蓮門精舎旧詞」によると、享禄年中(一五二八―三二)の草創とされ、弘治二年(一五五六)から翌年にかけて駿府に滞在している山科言継が「花陽院」を訪れ、同院の僧と交わっていることから(「言継卿記」同二年一一月一七日条など)、寺伝をそのまま信じることはできない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「華陽院」の解説

華陽院 けよういん

1492-1560 戦国時代,徳川家康の祖母。
明応元年生まれ。三河(愛知県)刈谷城主水野忠政(ただまさ)と結婚し家康の母となる於大(おだい)(伝通院)を,のち松平清康(きよやす)との間に信康(のぶやす)を生む。晩年は駿府(すんぷ)の今川義元(よしもと)のもとで人質になっていた家康の養育にあたった。永禄(えいろく)3年5月6日死去。69歳。通称はお留の方。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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