萩原寺(読み)はぎわらじ

日本歴史地名大系 「萩原寺」の解説

萩原寺
はぎわらじ

[現在地名]大野原町萩原

雲辺寺うんぺんじ山の北西麓にある。高尾たかお山の北東麓からも近く、大谷おおたに池の南端部の西側のほとりに位置する。真言宗大覚寺派、巨鼇山地蔵院と号し、本尊地蔵菩薩創建や初期の沿革などに関しては確実な徴証を得ない。文和二年(一三五三)雲辺寺(現徳島県三好郡池田町)の惣門を郷坊すなわち当寺に移したという記述(地蔵院萩原寺縁起)がある。しかしこの後の至徳二年(一三八五)三月に発給された宛所を欠く政所明覚寄進状(地蔵院文書)では、当寺の前身と推定される「野口地蔵堂」は安福あんぷく寺に所属していたかのごとくであり、雲辺寺との強い関係がこの段階ではうかがいにくい。なお安福寺は文政六年(一八二三)豊田郡寺社明細記(萩原寺蔵)に、境内(もしくはその近辺)旧跡があると記される。応永一六年(一四〇九)六月二四日の宛所欠吉清寄進状(地蔵院文書)にみえる「姫江新庄南方萩原村地蔵堂」は当寺の前身であろう。

永享一一年(一四三九)「当山之零落(中略)、移讃州、再興諸堂矣、永享十一年己未年、ママ寺務於郷坊」という前掲縁起の記述は、その直後の嘉吉三年(一四四三)六月一九日の宛所欠宇野朝近・大平国秋連署状(地蔵院文書)に「萩原中坊」とあることから確実であろう。すなわち雲辺寺が零落し、堂宇再建のため永享一一年に寺務を郷坊に移した。しかし従来雲辺寺では寺務を雲辺寺山中にあった中之坊で執っていたので、いわば郷坊に雲辺寺中之坊が移ったも同然であることから、嘉吉三年の文書で萩原中坊と呼称したのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「萩原寺」の解説

萩原寺

香川県観音寺市、雲辺寺山北西麓にある寺院。寺伝では弘法大師空海)の開創とされる。真言宗大覚寺派。山号は巨鼇山、院号は地蔵院。本尊は伽羅陀山火伏地蔵菩薩。萩の名所

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世界大百科事典(旧版)内の萩原寺の言及

【大野原[町]】より

…特にタマネギ,レタスは全国有数の産地として知られる。四国八十八ヵ所霊場雲辺寺(徳島県池田町)の前寺で,多くの重要文化財を有する萩原寺はハギの群生地としても名高く,雲辺寺山西麓の渓谷にあって平家の落人伝説を伝える五郷渓温泉,桜の名所五郷山公園など観光資源に富む。【赤池 享一】。…

※「萩原寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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