改訂新版 世界大百科事典 「蒲寿庚」の意味・わかりやすい解説
蒲寿庚 (ほじゅこう)
Pú Shòu gēng
中国,南宋末から元初(13世紀後半),泉州で活躍した大貿易家。生没年不詳。家系はアラブ人またはペルシア人で,イスラム教徒であった。6代前の先祖蒲孟宗は四川から広州に移り,1071年(煕寧4)には翰林学士となり,82年(元豊5)尚書左丞となって宰相の列に加わった。蒲寿庚の父の任賓の代に泉州に移る。寿庚はその第3子。当時政府が推進,奨励した海上貿易で巨富を蓄え,名望家となった。1245-46年(淳祐5-6)ころ泉州の提挙市舶(しはく)という貿易監督官に就任し,以後約30年間その要職に任じた。74年(咸淳10),海賊を討った功で福建安撫使,沿海都制置司という同地方の軍事長官になった。時に元軍が南宋の都の臨安を76年(景炎1)に攻め落としたが,蒲寿庚は元に降り,泉州を宋軍の攻撃から守り,皇族を殺した。まもなく79年(祥興2),広東崖山(がいざん)の戦で宋は滅び,彼は元に重く用いられて江西行省参知政事,ついで福建行省中書左丞に栄転した。第2回日本遠征のとき,戦艦600隻の一部建造にも当たった。泉州に住居や庭園の一部が残っている。
執筆者:斯波 義信
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