薄熙來(読み)はくきらい

百科事典マイペディア 「薄熙來」の意味・わかりやすい解説

薄熙來【はくきらい】

中国の政治家。北京市出身。中国革命の功労者で八大元老の一人とされた薄一波(国務院副総理を経験)の次男。父薄一波が文革で失脚したため,文革時に不遇な青年時代を送った。1977年北京大学歴史系に入り,1979年,社会科学院研究生院国際報道専攻に入学,1982年修士課程を卒業。1982年,共産党中央書記処に配属される。1980年代半ばに遼寧省大連市の党委員会で頭角をあらわし,1992年大連市市長。日本企業などの同市への投資拡大に成功して同市の経済発展に貢献,2001年に遼寧省長に就任するなど異例のスピード昇進を重ね,2002年共産党中央委員に選出された。遼寧省では外資の積極導入と跋扈(ばっこ)する暴力団の徹底摘発で民衆支持を得た。2004年商務部長。2007年党政治局委員に昇格,同年西部開発の拠点である重慶市共産党委員会書記に任命された。薄は,重慶市で一気に外資導入を実現,重慶市の経済成長年率16%という驚異的な数字を達成した。薄の政治手法は,遼寧省における活動同じく,地下経済を牛耳る暴力団の徹底取締〈打黒〉と,毛沢東時代の革命家を民衆に歌わせる大衆政治キャンペーン〈唱紅〉で大衆を動員し支持を拡大するというもので,重慶市における薄の〈成功〉を,江沢民,呉邦国,李長春,習近平ら党中央の幹部は〈重慶モデル〉として絶賛したが,他方胡錦濤主席・温家宝首相らは行きすぎた市場経済,毛沢東時代の大衆動員として警戒感を強めた。2011年,薄一家が親しくしていた英国人実業家の変死体が重慶市のホテルで発見され,重慶市公安局が捜査を開始し,薄の妻で弁護士の谷開來が関与した殺害事件の疑いと,薄一家の不正蓄財,不正海外送金の疑惑が浮上した。2012年2月,身の危険を感じた,薄の遼寧省以来の腹心である重慶市公安局長王立軍が成都の米国総領事館に駆け込み,亡命未遂事件を起こしたことで,事件は内外の注目を集める一大政治スキャンダルとなった。折しも,中国は胡錦濤・温家宝体制から習近平体制への移行の時期にあたり,政権中枢の人事をめぐって,江沢民派,太子党ら保守派と胡錦濤派が政治的駆け引きを繰り広げており,事件の処理は中国共産党を揺るがす重大な政治的意味を持つことになった。同年3月,薄は重慶市共産党書記を解任され,4月妻の谷開來は身柄を拘束された。党中央は薄熙來に重大な規律違反があったため中央政治局員・中央委員の職務を停止,党中央規律検査委員会に審査をゆだねると発表。さらに,同年9月同規律委員会の調査結果を受けて共産党中央は薄熙來の除名を決定,10月の全人代常務委員会で,薄熙來の代表資格取り消しを決定して,すべての公職から追放した。谷開來は2012年8月裁判で,執行猶予2年の死刑判決を受けた。薄熙來も職権濫用収賄刑事訴追の対象となるとされている。
→関連項目中華人民共和国

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