大正・昭和期の僧侶,平和運動家 日本山妙法寺山主。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
宗教家。日蓮(にちれん)系の教団日本山妙法寺大僧伽(にほんざんみょうほうじだいそうが)の山主(さんしゅ)。熊本県の農家に生まれる。日蓮宗大学(現、立正(りっしょう)大学)を卒業後、京都と奈良で各宗の宗学を学んだ。1914年(大正3)滋賀県堅田(かただ)に聞法(もんぼう)教会所を開き、1916年、奈良県の桃尾(もものお)の滝に打たれて7日間の断食(だんじき)修行をして、団扇(うちわ)太鼓をたたいて『法華経(ほけきょう)』の題目を宣布する「撃鼓宣令(きゃっくせんりょう)」、全世界の人々に妙法を広め帰依(きえ)させる「四海帰妙(しかいきみょう)」の誓願(せいがん)をたてた。翌1917年皇居前で玄題旗を立て、団扇太鼓を鳴らして7日間の化他行(けたぎょう)を修めて、「日本山妙法寺」を開いた。また、西天開教(さいてんかいきょう)を志して大陸に渡り、1918年中国東北地方遼陽(りょうよう)に最初の妙法寺を開設した。1923年関東大震災を機に帰国し、翌1924年静岡県富士郡に国内最初の妙法寺を建て、各地で布教した。1930年(昭和5)単身インドに向けて旅立ち、翌1931年よりインド各地とセイロン(現、スリランカ)で布教して、反英独立運動との結び付きを深めた。1933年ガンディーと会見し非暴力主義の深い影響を受けた。第二次世界大戦後は民族主義と絶対平和主義にたつ教義を展開し、各地に仏舎利(ぶっしゃり)塔を建て、平和運動の実践に挺身(ていしん)した。
[村上重良 2018年6月19日]
『藤井日達著『毒鼓』(1961・わせだ書房)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…日蓮系の宗派であり,これによって建立された諸寺共通の名称でもある。この派の指導者藤井日達(1885‐1985)は,1917年弘通(ぐづう)を始め,18年中国の遼陽に最初の日本山妙法寺を開き,以後中国各地および日本国内にも諸寺を建立,いずれも日本山妙法寺と称した。日本では,24年静岡県田子ノ浦に開創したのが最初である。…
※「藤井日達」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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