藤原師長(読み)ふじわらのもろなが

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原師長」の意味・わかりやすい解説

藤原師長
ふじわらのもろなが
(1138―1192)

平安後期の政治家、音楽家。左大臣頼長(よりなが)の第2子で、1156年(保元1)父に連坐(れんざ)して土佐に流されたが、のち召還され、77年(治承1)に太政(だいじょう)大臣の位まで昇るが、79年には平清盛によって追放され、尾張(おわり)で出家した。法名理覚。世に妙音院(みょうおんいん)太政大臣という。源家(げんけ)と並ぶ郢(えい)曲の流派の一つ藤家(とうけ)の出身で、音楽的才能にも恵まれ、『十訓抄(じっきんしょう)』や『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』には早くから管絃(かんげん)や歌曲に長じたことが記されている。箏(そう)と琵琶(びわ)の名手で、箏では『仁智要録(じんちようろく)』、琵琶では『三五要録(さんごようろく)』という各12巻からなる譜集を編纂(へんさん)し、抄出した『仁智要略』『三五要略』とともに後世に伝えられる。また今様(いまよう)は源資時(すけとき)と並ぶ後白河(ごしらかわ)法皇の後継者、声明(しょうみょう)と朗詠(ろうえい)では新しく妙音院流をおこした。

[橋本曜子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原師長」の意味・わかりやすい解説

藤原師長
ふじわらのもろなが

[生]保延4(1138)
[没]建久3(1192)
平安時代後期の政治家,雅楽家。左大臣頼長の次男で,従一位太政大臣の地位にまで上って廷臣として活躍する一方,雅楽の箏,琵琶の演奏にすぐれた才能を発揮し,雨乞いのために日吉神社で弾じて雨を降らせ「雨大臣」とまでいわれたと伝えられる。音楽理論にも通じ,琵琶譜『三五要録』と箏譜『仁智要録』を著わし,その説は妙音院流と称され,後世に大きな影響を与えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原師長」の解説

藤原師長 ふじわらの-もろなが

1138-1192 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
保延(ほうえん)4年生まれ。藤原頼長の次男。母は源信雅の娘。保元(ほうげん)の乱のあと土佐に配流。後白河院政のもとで太政大臣,従一位となるが,治承(じしょう)3年(1179)平清盛のクーデターで尾張(おわり)に流されて出家。管弦,今様,声明(しょうみょう)にすぐれ,琵琶(びわ)譜「三五要録」,箏(そう)譜「仁智要録」をのこす。建久3年7月19日死去。55歳。法名は理覚。号は妙音院。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原師長の言及

【土佐国】より

…これは四国山脈を横断して南下するもので,現在の長岡郡本山町を経由し,のちに〈北山越え〉と呼ばれる官道であった。土佐国は724年(神亀1)の制によって遠流の国とされて以来,奈良時代では石上乙麻呂,大伴古慈斐,池田親王(淳仁天皇の弟),弓削浄人・広方・広田(道鏡の一族),平安時代に入ると紀夏井(応天門の変),藤原師長(保元の乱),源希義(まれよし)(平治の乱)等々,多くの著名人の配流先となった。また,国司としては紀貫之の来任が著名である。…

※「藤原師長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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