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藤原彰子 フジワラノショウシ

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐しょうし〔ふぢはら‐シヤウシ〕【藤原彰子】

上東門院(じょうとうもんいん)

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百科事典マイペディアの解説

藤原彰子【ふじわらのしょうし】

一条天皇の中宮(ちゅうぐう)。後一条・後朱雀(ごすざく)両天皇の母。藤原道長の娘。999年入内。翌年中宮。1026年上東門院(じょうとうもんいん)の院号宣下。藤原氏全盛期の中宮として女官に紫式部らの才女を集め栄華を誇った。
→関連項目藤原定子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原彰子 ふじわらの-しょうし

上東門院(じょうとうもんいん)

藤原彰子 ふじわらの-あきこ

上東門院(じょうとうもんいん)

出典|講談社
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大辞林 第三版の解説

ふじわらのしょうし【藤原彰子】

988~1074) 一条天皇の中宮。道長の女むすめ。後一条・後朱雀両天皇を生み、道長による藤原氏全盛を可能にした。紫式部・和泉式部・赤染衛門らの才媛が仕えた。上東門院。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原彰子
ふじわらのしょうし

上東門院」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原彰子
ふじわらのしょうし
(988―1074)

一条(いちじょう)天皇の中宮、上東門院。道長(みちなが)の長女。母は源雅信(まさのぶ)の女倫子(むすめりんし)。999年(長保1)一条天皇の女御(にょうご)となり、翌年立后。天皇にはこれより先、藤原道隆(みちたか)の女定子(ていし)が中宮でおり、二后併立となったため定子を皇后とし、彰子を中宮とした。1012年(長和1)皇太后、18年(寛仁2)太皇太后宮となり、26年(万寿3)出家。院号の宣下があって上東門院となった。30年(長元3)法成寺(ほうじょうじ)無量寿院のそばに東北院を建立した。後一条(ごいちじょう)、後朱雀(ごすざく)院をはじめ、父道長、妹妍子(けんし)、威子(いし)、嬉子(きし)らに先立たれたため、長命をかえって悲しんだようすが『栄花物語』などにみえる。承保(じょうほう)元年10月3日、法成寺阿弥陀(あみだ)院で87歳で薨(こう)じた。[山中 裕]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の藤原彰子の言及

【上東門院】より

…平安中期の皇后。藤原道長の長女。名は彰子。法名清浄覚。999年(長保1)一条天皇に女御として入内,翌年中宮となり敦成(後一条天皇),敦良(後朱雀天皇)両親王を生んだ。紫式部が彰子に仕えたことは有名。1012年(長和1)天皇の死とともに皇太后,26年(万寿3)出家して門院号を受け,晩年は法成寺内に東北院を建てて住み,大女院と呼ばれ,国母と仰がれた。聡明・穏良の人柄でもあったが,晩年は肉親に多く先立たれて寂寥の影が濃い。…

※「藤原彰子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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