平安中期の女流歌人。生没年不詳。1060年(康平3)以後高齢で没した。伊勢の祭主で神祇伯となった大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の女。1008年(寛弘5)のころ,一条天皇の中宮彰子に仕える。〈いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな〉(《詞花集》)は,興福寺の僧が奈良の八重桜を中宮に献じたとき,先輩の女房の紫式部から取入れ役を譲られて新参の伊勢大輔が詠んだ名歌である。高階成順(たかしなのなりのぶ)と結婚し,康資王母,筑前乳母,源兼俊母をもうける。歌人として和泉式部,藤原家経,同兼房らと交流し,《上東門院菊合》《弘徽殿女御十番歌合》等多くの晴(はれ)の歌合に出詠し,〈卯の花の咲ける盛りは白浪のたつ田の川の井堰(ゐぜき)とぞ見る〉(《後拾遺集》)のように感覚的で精緻で完成度の高い歌を詠み,歌人として高い評価をうける。《後拾遺集》以後の勅撰集に51首入集。家集《伊勢大輔集》を残す。
執筆者:上野 理
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生没年不詳。平安中期の女流歌人で中古三十六歌仙の一人。大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の孫、輔親(すけちか)の娘。1008年(寛弘5)ごろ中宮彰子(しょうし)のもとに出仕、このおり、奈良の僧から献じた八重桜を、「今年の取り入れ人は今参りぞ」と紫式部に促されて詠んだ一首「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂(にほ)ひぬるかな」によって、一躍歌才を認められた。以後、上東門院彰子の側近として、1032年(長元5)上東門院菊合(きくあわせ)より1056年(天喜4)に至る公私の歌合に活躍、多くの賀歌、屏風歌(びょうぶうた)を残した。歌風は縁語、懸詞(かけことば)を駆使した技巧に特色がある。夫高階成順(たかしななりのぶ)との間に康資王母(やすすけおうのはは)らの優れた歌人をもうけ、温厚な人柄から一時、貞仁(さだひと)親王(白河天皇)の傅育(ふいく)を嘱されたこともある。1060年(康平3)志賀僧正90歳の賀歌を最後に、まもなくかなりな高齢で没したらしい。家集に雑纂(ざっさん)、類纂大別2種の『伊勢大輔集』がある。
[犬養 廉]
『保坂都著『大中臣家の歌人群』(1972・武蔵野書院)』
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