伊勢大輔(読み)イセノオオスケ

デジタル大辞泉 「伊勢大輔」の意味・読み・例文・類語

いせ‐の‐おおすけ〔‐おほすけ〕【伊勢大輔】

平安中期の女流歌人大中臣輔親おおなかとみのすけちかの娘。上東門院彰子に仕え、紫式部和泉式部らと親交を結んだ。生没年未詳。家集に「伊勢大輔集」がある。いせのたゆう。

いせ‐の‐たゆう〔‐タイフ〕【伊勢大輔】

いせのおおすけ

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精選版 日本国語大辞典 「伊勢大輔」の意味・読み・例文・類語

いせ‐の‐たゆう‥タイフ【伊勢大輔】

  1. 平安中期の女流歌人。中古三十六歌仙、三才女の一人。大中臣輔親の娘。上東門院彰子に仕えた。のち高階成順(なりのぶ)の妻。家集「伊勢大輔集」。いせのおおすけ。生没年未詳。

いせ‐の‐おおすけ‥おほすけ【伊勢大輔】

  1. いせのたゆう(伊勢大輔)

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改訂新版 世界大百科事典 「伊勢大輔」の意味・わかりやすい解説

伊勢大輔 (いせのたいふ)

平安中期の女流歌人。生没年不詳。1060年(康平3)以後高齢で没した。伊勢の祭主神祇伯となった大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の女。1008年(寛弘5)のころ,一条天皇の中宮彰子に仕える。〈いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな〉(《詞花集》)は,興福寺の僧が奈良の八重桜を中宮に献じたとき,先輩の女房の紫式部から取入れ役を譲られて新参の伊勢大輔が詠んだ名歌である。高階成順(たかしなのなりのぶ)と結婚し,康資王母,筑前乳母,源兼俊母をもうける。歌人として和泉式部,藤原家経,同兼房らと交流し,《上東門院菊合》《弘徽殿女御十番歌合》等多くの晴(はれ)の歌合に出詠し,〈卯の花の咲ける盛りは白浪のたつ田の川の井堰(ゐぜき)とぞ見る〉(《後拾遺集》)のように感覚的で精緻で完成度の高い歌を詠み,歌人として高い評価をうける。《後拾遺集》以後の勅撰集に51首入集。家集《伊勢大輔集》を残す。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊勢大輔」の意味・わかりやすい解説

伊勢大輔
いせのたいふ

生没年不詳。平安中期の女流歌人で中古三十六歌仙の一人。大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の孫、輔親(すけちか)の娘。1008年(寛弘5)ごろ中宮彰子(しょうし)のもとに出仕、このおり、奈良の僧から献じた八重桜を、「今年の取り入れ人は今参りぞ」と紫式部に促されて詠んだ一首「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂(にほ)ひぬるかな」によって、一躍歌才を認められた。以後、上東門院彰子の側近として、1032年(長元5)上東門院菊合(きくあわせ)より1056年(天喜4)に至る公私の歌合に活躍、多くの賀歌、屏風歌(びょうぶうた)を残した。歌風は縁語、懸詞(かけことば)を駆使した技巧に特色がある。夫高階成順(たかしななりのぶ)との間に康資王母(やすすけおうのはは)らの優れた歌人をもうけ、温厚な人柄から一時、貞仁(さだひと)親王(白河天皇)の傅育(ふいく)を嘱されたこともある。1060年(康平3)志賀僧正90歳の賀歌を最後に、まもなくかなりな高齢で没したらしい。家集に雑纂(ざっさん)、類纂大別2種の『伊勢大輔集』がある。

[犬養 廉]

『保坂都著『大中臣家の歌人群』(1972・武蔵野書院)』


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百科事典マイペディア 「伊勢大輔」の意味・わかりやすい解説

伊勢大輔【いせのたいふ】

平安中期の歌人。生没年不詳。大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の女(むすめ)。父が伊勢の祭主で神祇官の大輔だったため,この名がある。一条天皇中宮彰子のもとに1008年より出仕した。奈良の僧に献上された八重桜の取入役を紫式部に譲られ,即興で〈いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな〉と詠んで,一躍歌才を認められた逸話は有名。のちに高階成順(たかしなのなりのぶ)と結婚,康資王母(やすすけおうはは)らを生んだ。また,白河天皇の養育にも当たったという。趣向や修辞を凝らした伝統的な歌風で知られ,中古三十六歌仙の一人。家集に《伊勢大輔集》がある。《後拾遺和歌集》以下の勅撰集に51首入集。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊勢大輔」の意味・わかりやすい解説

伊勢大輔
いせのたいふ

平安時代中期の女流歌人。父大中臣輔親 (おおなかとみのすけちか) ,祖父大中臣能宣 (よしのぶ) ,曾祖父頼基 (よりもと) もすぐれた歌人。高階成順 (たかしなのなりのぶ) と結婚,歌人康資王母 (やすすけおうのはは) を生んだ。寛弘5 (1008) 年頃に一条天皇中宮彰子 (しょうし) のもとに出仕,後年には白河天皇の傅育 (ふいく) の任にもあたった。『後拾遺集』以下の勅撰集に 50首余入集。家集『伊勢大輔集』がある。多くの歌合に出詠。歌人としての活動期は長く,寛弘5年前後成立の『後十五番歌合』から康平3 (60) 年志賀僧正九十賀の祝歌に及ぶ。

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朝日日本歴史人物事典 「伊勢大輔」の解説

伊勢大輔

生年:生没年不詳
平安時代の歌人。大中臣能宣の孫,輔親の娘。寛弘5(1008)年ごろ,20歳前後で中宮彰子の女房として出仕。献上された八重桜の受け取り役を紫式部から譲られ,「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」の一首をとっさに詠んで歌才を認められた。やがて高階成順と結婚,康資王母などを生んだ。和泉式部,赤染衛門,源経信などと交流を持ち,藤原頼通の時代には永承4(1049)年内裏歌合など多くの歌合に出詠。ながく後宮歌壇の中心として活躍,大中臣家の和歌の伝統を子孫に伝えた。『後拾遺集』以下の勅撰集に入集。家集『伊勢大輔集』がある。<参考文献>保坂都『大中臣家の歌人群』

(山本登朗)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊勢大輔」の解説

伊勢大輔 いせのたいふ

?-1062? 平安時代中期の歌人。
大中臣輔親(おおなかとみの-すけちか)の次女。寛弘(かんこう)5年ごろ中宮(ちゅうぐう)彰子(上東門院)につかえ,歌才をみとめられる。高階成順(たかしなの-なりのぶ)と結婚,四条宮筑前らを生んだ。中古三十六歌仙のひとりで,「後拾遺和歌集」などの勅撰集に五十余首のる。康平5年?死去。「いせのおおすけ」ともよむ。家集に「伊勢大輔集」。
【格言など】いにしへの奈良の都の八重桜今日九重ににほひぬるかな(「小倉百人一首」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「伊勢大輔」の解説

伊勢大輔
いせのおおすけ

生没年不詳
平安中期の女流歌人
一条天皇の中宮上東門院彰子に仕え,紫式部・和泉式部などと交流があった。技巧的な歌風。家集に『伊勢大輔集』1巻。中古三十六歌仙の一人。

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