藤原為子(読み)ふじわらのためこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原為子」の意味・わかりやすい解説

藤原為子
ふじわらのためこ

生没年未詳。鎌倉時代歌人。1315年(正和4)か16年ごろ65歳くらいで没したともいわれる。父は京極為教(きょうごくためのり)、母は三善雅衡(みよしまさひら)の女(むすめ)。為兼の姉。大宮院権中納言(ごんちゅうなごん)とも、永福門院に仕え藤大納言典侍(とうだいなごんのてんじ)とも称され、また二条為世(ためよ)の女贈従三位(ぞうじゅさんみ)為子と区別し従二位為子ともよばれる。前期京極派歌壇の重鎮として活躍、持明院統(じみょういんとう)の京極派女流歌人を育成した。『玉葉集』撰集(せんしゅう)にも関係し、為兼の歌学普及にも努めた。『玉葉集』に60首、『風雅集』に39首入集、京極派歌風の特色である自然観照の詠に優れる。家集に『藤大納言典侍歌集』がある。

[後藤重郎]

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朝日日本歴史人物事典 「藤原為子」の解説

藤原為子

生年:生没年不詳
鎌倉時代後期の女房歌人。父は京極為教,母は三善雅衡の娘。藤大納言典侍,大納言三位とも呼ばれる。大宮院,伏見上皇,永福門院に仕えたのち,花園天皇乳母となり,正和3(1314)年従二位に叙せられる。弘安1(1278)年『弘安百首』,嘉元1(1303)年『嘉元百首』など,多くの歌会,歌合に出詠し,弟為兼の『玉葉和歌集』選定にも関与するなど,京極派和歌を代表する歌人として活躍した。「雨の脚も横さまになる夕風に蓑吹かせゆく野辺旅人」のように,清新で客観的な作風の和歌を多く残している。家集に『藤大納言典侍集』があり,『続拾遺和歌集』以下の勅撰集に126首が入集している。

(加藤睦)


藤原為子

生年:生没年不詳
鎌倉時代後期の女房歌人。二条為世の娘。大納言典侍とも呼ばれる。遊義門院,後二条院に仕えたのち,東宮時代の後醍醐天皇の寵を受け,尊良親王,宗良親王らの母となった。嘉元1(1303)年『嘉元百首』などに出詠している。二条派の代表的女性歌人として活躍した。

(加藤睦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原為子」の解説

藤原為子(2) ふじわらの-いし

?-? 鎌倉時代の女官,歌人。
二条為世(ためよ)の娘。遊義門院,後二条院につかえ,のち東宮時代の後醍醐(ごだいご)天皇の寵(ちょう)をうけて尊良(たかよし)親王,宗良(むねよし)親王,内親王の瓊子(たまこ),欣子らを生んだ。勅撰集には71首がはいる。応長元年(1311)ごろ死去。権(ごんの)大納言典侍,贈従三位為子などとよばれる。名は「ためこ」ともよむ。

藤原為子(1) ふじわらの-いし

?-? 鎌倉時代の女官,歌人。
京極為教(ためのり)の娘。伏見(ふしみ)天皇に信任され,弟の京極為兼とともに京極派の有力歌人として活躍。勅撰集には120首余がはいっている。正和(しょうわ)4年(1315)以後に死去。大宮院権(ごんの)中納言,院大納言典侍,従二位為子などとよばれる。名は「ためこ」ともよむ。家集に「藤大納言典侍歌集」。

藤原為子 ふじわらの-ためこ

⇒ふじわらの-いし

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