朝日日本歴史人物事典 「藤原重家」の解説
藤原重家
生年:大治3(1128)
平安時代の歌人。左京大夫顕輔の子。母は家の女房。兄に清輔,弟に季経,子に経家,顕家,有家がいる。非参議従三位大宰大弐に至った。安元2(1176)年出家,蓮家(蓮寂か)と号した。和漢兼作のうえ,管弦にもたけた才人であった。兄清輔から譲り受けた人麻呂影供像を,子の経家に伝えるなどして,六条藤家の主流としての地位を築いた。その一方で,仁安1(1166)年の自邸での歌合に,六条家と対立する御子左家の藤原俊成を判者として招くなど,派閥にとらわれぬ行動もみせた。趣向を重んじた作風。家集に『重家集』がある。<参考文献>井上宗雄『増補版・平安後期歌人伝の研究』
(谷知子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報