藤浪与兵衛
ふじなみよへえ
歌舞伎(かぶき)小道具師。4世まである。
[松井俊諭]
(1829―1906)埼玉の農家の生まれ。江戸へ出て市村座に勤めるかたわら、俳優に扇子を貸す商売を手始めに、猿若町で小道具の収集と賃貸しを始め、維新後は小道具商として独立、明治中期の写実劇流行の風潮に乗じ多くの小道具を新調、地位を築いた。
[松井俊諭]
(1865―1921)初世の子。仕掛物に優れ、舞台効果を考慮した小道具の改良に努力。馬と鎧(よろい)の製作に長じ、ヘチマを使う方法を考案した。
[松井俊諭]
(1891―1952)2世の長男。有職(ゆうそく)故実に長じ、実物を模した鎧を製作。歌舞伎以外の演劇小道具にも手を広げ、藤浪小道具株式会社を設立した。
[松井俊諭]
(1926―75)3世の長男。本名藤波光夫。東京大学経済学部卒業。父の方針を継承、歌舞伎をはじめ日本芸能の海外公演に貢献した。編著に『小道具藤浪与兵衛』『芝居の小道具――創意と伝承』、遺稿集に『小道具再見』がある。
[松井俊諭]
『『芝居の小道具――創意と伝承』(1974・日本放送出版協会)』▽『『小道具再見』(1978・日本放送出版協会)』
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藤浪 与兵衛(4代目)
フジナミ ヨヘエ
昭和期の演劇小道具方 藤浪小道具社長。
- 生年
- 大正15(1926)年6月9日
- 没年
- 昭和50(1975)年5月7日
- 出生地
- 東京市浅草(東京都台東区)
- 本名
- 藤波 光夫(フジナミ テルオ)
- 学歴〔年〕
- 東京大学経済学部〔昭和28年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 毎日演劇賞(美術別賞)〔昭和31年〕,伊藤熹朔賞〔昭和48年〕,長谷川伸賞〔昭和49年〕
- 経歴
- 昭和23年歌舞伎の小道具店・藤浪小道具株式会社に専務として入社、同年“伝統芸術の会”創設に尽力。27年の父の自殺で翌年藤浪小道具社長を継ぎ、「地獄変」の御所車など新仕掛けの小道具を開発。29年4代目襲名。以後テレビ、新劇の小道具、歌舞伎、日本舞踊の海外公演、コメディー・フランセーズなどの来日公演に寄与した。また劇場裏方の世界の近代化に努力、34年舞踊界へ祝儀、車代辞退の声明文を送るなどした。著書に「芝居の小道具―創意と伝承」「小道具再見」など。
藤浪 与兵衛(3代目)
フジナミ ヨヘエ
大正・昭和期の演劇小道具方 藤浪小道具社長。
- 生年
- 明治24(1891)年3月21日
- 没年
- 昭和27(1952)年12月24日
- 出生地
- 東京市浅草(東京都台東区)
- 本名
- 藤波 藤三郎
- 別名
- 幼名=喜三郎
- 学歴〔年〕
- 東京府立一中卒
- 経歴
- 明治40年代はじめより画家・松岡映丘に師事。主に鎧の製作に従事。明治末からは歌舞伎のみならず、新派、新国劇、オペラ、バレエ、新劇などの小道具も手がけた。また、有職故実、時代考証に関する造詣も深く、それを小道具製作に適用した。昭和9年3代目与兵衛を襲名。23年藤浪小道具店を株式会社に改め社長に就任。著書に「小道具藤浪与兵衛」がある。
藤浪 与兵衛(2代目)
フジナミ ヨヘエ
明治・大正期の歌舞伎小道具方
- 生年
- 元治2年2月5日(1865年)
- 没年
- 大正10(1921)年2月15日
- 出生地
- 江戸・浅草(東京都台東区)
- 本名
- 藤浪 与三郎
- 経歴
- 藤波を藤浪と改称。有職故実の研究を行い、小道具、舞台用の馬の改良、鎧の製作に努力。紙と綿の材料に代わるヘチマの使用を発明。仕掛物に優れ、歌舞伎十八番物の型の継承にも尽した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
藤浪与兵衛 (ふじなみよへえ)
歌舞伎の小道具方。初世(1829-1906・文政12-明治39)は,市村座に勤めるかたわら,小道具の収集・賃貸しを始め,維新後,小道具商として独立した。2世(1865-1921・慶応1-大正10)は,舞台効果を考慮した小道具の改良・創作に努め,歌舞伎以外の小道具にも手を広げた。3世(1891-1952・明治24-昭和27),4世(1926-75・昭和1-50)ともに2世の態度を継承,有職故実などの研究を小道具製作に反映させた。4世の著書《芝居の小道具》(1974)は,4代にわたる小道具方藤浪与兵衛の芝居への愛情と職人魂に支えられた芸話でもある。
→小道具
執筆者:今尾 哲也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
藤浪与兵衛(初代)
没年:明治39.10.14(1906)
生年:文政12.10.28(1829.11.24)
歌舞伎小道具業の創立者。武蔵国埼玉郡千疋村(越谷市)の農家石塚勇次郎の3男。嘉永6(1853)年25歳のとき江戸へ出て,浅草猿若町の市村座へ茶番として入る。次いで貸座布団の株を買って商いをし,明治5(1872)年に9代目市川団十郎らの後援を得て小道具業を創始した。甲冑,刀剣,調度品などを収集し,製作に従う職人たちを雇い入れて,新作の活歴物,散切物や演劇改良運動の勃興にもよく対応し,18年には東京の各座へ小道具を一手に提供するようになる。20年の天覧歌舞伎,新しく興った壮士芝居,新派劇,歌劇,新劇へも小道具を賃貸した。代々与兵衛を名乗り,昭和期の4代におよぶ。2代目与兵衛は刀剣の製作,糸瓜細工,張り子の手法の応用にすぐれ,今日に伝えられる名品が多い。3代目与兵衛は鎧の製作,仕掛け物の考案にすぐれ,時代考証に努めて,多様化した商業演劇の興隆に即応した。<参考文献>4代目与兵衛『芝居の小道具』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
藤浪与兵衛
ふじなみよへえ
江戸時代末期以来の演劇小道具の製作,貸出しを専門とする家名。名跡襲名は4世まで。1世は安政年間 (1854~60) の頃から歌舞伎の小道具の貸出しを業とし,明治5 (72) 年に藤浪小道具を創業,藤浪といえば小道具といわれるほどの老舗となった。2世は細工物にへちまを用いる新方法を発明。3世は日本画家・松岡映丘に師事し,のち鎧作りの名手となった。4世は東京大学経済学部卒業。在学中に店を継ぎ,株式会社とした。歌舞伎をはじめ舞台・テレビの小道具製作を広く手がけ,著書に『芝居の小道具-創意と伝承』 (1974) などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
藤浪与兵衛(4代) ふじなみ-よへえ
1926-1975 昭和時代後期の演劇・舞踊の小道具方。
大正15年6月9日生まれ。3代藤浪与兵衛の長男。昭和29年4代を襲名。歌舞伎,新劇,テレビなどの小道具製作にはげみ,また歌舞伎の小道具の伝承,後継者の育成につとめた。昭和50年5月7日死去。48歳。東京出身。東大卒。本名は藤波光夫(てるお)。著作に「芝居の小道具―創意と伝承」など。
藤浪与兵衛(3代) ふじなみ-よへえ
1891-1952 大正-昭和時代の演劇・舞踊の小道具方。
明治24年3月21日生まれ。2代藤浪与兵衛の長男。松岡映丘(えいきゅう)に師事し,有職(ゆうそく)故実をまなんで鎧(よろい),兜(かぶと),刀剣などの製作に反映させた。昭和9年3代を襲名。昭和27年12月24日死去。61歳。東京出身。東京府立第一中学卒。本名は藤波藤三郎。
藤浪与兵衛(2代) ふじなみ-よへえ
1865-1921 明治-大正時代の演劇・舞踊の小道具方。
元治(げんじ)2年2月5日生まれ。初代藤浪与兵衛の長男。明治40年2代をつぐ。仕掛け物の考案,舞台用の馬の改良,鎧(よろい)の製作にすぐれ,また歌舞伎十八番物の型の継承にもつくした。大正10年2月15日死去。57歳。江戸出身。本名は藤波与三郎。
藤浪与兵衛(初代) ふじなみ-よへえ
1829-1906 幕末-明治時代の演劇・舞踊の小道具方。
文政12年10月28日生まれ。江戸市村座の茶番をへて,舞台用小道具の収集と貸し出しをはじめた。維新後,小道具商として独立,東京の各座の小道具を一手にひきうけた。明治39年10月14日死去。78歳。武蔵(むさし)埼玉郡出身。本姓は石塚。
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藤浪 与兵衛(3代目) (ふじなみ よへえ)
生年月日:1891年3月21日
大正時代;昭和時代の演劇・舞踊の小道具方
1952年没
藤浪 与兵衛(2代目) (ふじなみ よへえ)
生年月日:1865年2月5日
明治時代;大正時代の演劇小道具製作者
1921年没
藤浪 与兵衛(4代目) (ふじなみ よへえ)
生年月日:1926年6月9日
昭和時代の演劇・舞踊の小道具方
1975年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の藤浪与兵衛の言及
【小道具】より
…持物は,演技者が役を作りあげていくうえに,また作中の人物になりきる変身のための素材として大切な役割を担っている。 日本における小道具の歴史は,能,狂言,歌舞伎の歩みとともに古いが,たとえば歌舞伎では,俳優の自前や劇場の所有物を用いた時代を経て,小道具が企業として確立したのは,初世[藤浪与兵衛](1829‐1906)が,保存,製作,賃貸しを始めた1872年(明治5)である。以来新劇,オペラなどの新しい舞台芸術,映画,テレビの発達とともに,いくつかの専門業者が生まれ,今日にいたっている。…
※「藤浪与兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」