小説家。福井市生まれ。地元の中学を卒業し、1966年(昭和41)東京の早稲田大学高等学院に進学。下宿をしながら夜な夜な繁華街へ繰り出し、ついには同棲まで始めるという放埒(ほうらつ)な日々を送る。この時期の生活は、自伝的長編小説『愛さずにはいられない』(2003)のなかで赤裸々に綴(つづ)られている。その後、早稲田大学第一文学部に入学するが、3年生のときに中退。1973年ナイトクラブのギター演奏で稼いだ100万円をもって渡仏し、パリに住む。パリでは定職にもつかない生活を送るが、やがて資金が乏しくなり、航空会社に勤務。7年間の滞在後、1980年に帰国する。パリ時代に関するエピソードの一部分は『女(ファム)』(2003)に描かれている。
帰国後はフランス語教室を開くかたわら、パリで知り合った笠井潔の紹介でミステリーの翻訳を手がけたり、雑誌にエッセイを書き始め、1985年初めての著書『ラブ・ソングの記号学』を発表。翌1986年、パリ在住の日本人私立探偵を主人公としたハードボイルド小説『野望のラビリンス』で小説家デビューする。その後『標的の向こう側』『瞑(ねむ)れ、優しき獣たち』(ともに1987)、『影の探偵』『ダブル・スチール』(ともに1988)、『過去を殺せ』(1990)、『パリを掘り返せ』(1992)など私立探偵小説や犯罪小説を中心に次々と作品を発表してゆく。こうした初期作品の集大成『鋼鉄の騎士』(1994)は、第二次世界大戦前夜のパリを舞台に、カー・レースに情熱を燃やす日本人青年を描き、政治や風俗、恋愛などエンターテインメントのあらゆる要素を盛り込んだ傑作との評価を得、日本推理作家協会賞を受賞した。また、この作品を境に藤田の作風に微妙な変化が訪れる。作者はかねてから恋愛小説に挑戦したいと思っていたが、『鋼鉄の騎士』に恋愛シーンを入れたことでその気持ちがより高まってゆくのである。
その萌芽でもある『巴里(パリ)からの遺言』(1995)が第114回直木賞の候補にあげられたことで自信を深め、恋愛小説への傾倒はさらに強まる。なおこの回の直木賞には、私生活におけるパートナーである小池真理子の『恋』も候補になっており、2人の同時受賞もあるかと世間を賑(にぎ)わせた(結果は小池が受賞)。続いて花材職人と華道家元の20余年の秘めた思いを描いた『樹下の想い』(1997)が直木賞候補になる。1999年(平成11)『求愛』で島清(しませ)恋愛文学賞受賞。そして2001年『愛の領分』で第125回直木賞受賞、第一線の恋愛小説作家に躍り出た。
藤田の恋愛小説の特色は、情痴に溺れるものであれ、純愛を貫くものであれ、登場人物の男性側の女性に対する思いの根底にはどこか悲観的な感情、不信感が見え隠れし、女性を突き放した見方をしていることにある。『愛さずにはいられない』には女性に対する不信感の根底に母親との対立、反発があったことを示唆する記述が見られ、主人公(作者)の女性観は、母親によって決定づけられたという。
その後も活発な執筆活動を続け、男性の恋愛小説作家が数を減らしているなか、藤田の存在は貴重であった。
[関口苑生]
『『樹下の想い』(講談社文庫)』▽『『愛さずにはいられない』(集英社文庫)』▽『『ラブ・ソングの記号学』『野望のラビリンス』『標的の向こう側』(角川文庫)』▽『『影の探偵』『過去を殺せ』『パリを掘り返せ』『瞑れ、優しき獣たち』(徳間文庫)』▽『『ダブル・スチール』(光文社文庫)』▽『『鋼鉄の騎士』『女』(新潮文庫)』▽『『巴里からの遺言』『求愛』『愛の領分』(文春文庫)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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