蠟燭(読み)ろうそく

改訂新版 世界大百科事典 「蠟燭」の意味・わかりやすい解説

蠟燭 (ろうそく)

灯火用品の一種。パラフィンステアリン,固体脂肪,蠟類などを主材料とし,綿糸灯心,こよりなどを燭心(しよくしん)として円柱状に作り,その燭心の先端に点火し,手燭,燭台ぼんぼり提灯(ちようちん)などの灯火具に立てて照明とする。これを〈蠟燭〉と書いて,普通には〈ろうそく〉と読んでいるが,また〈らっそく〉とも呼んでいた(《饅頭屋本(まんじゆうやぼん)節用集》)。〈らっそく〉〈らっちょく〉の語は,近年まで岡山県や岩手県の一部に行われていた。

 ろうそくは初め,脂肪あるいは蠟類を塗った樹皮木片をたばねて作った〈たいまつ〉〈脂燭〉の類から発達したと考えられる。しかし今日見られるようなろうそくがいつごろから行われたかは,現在なお十分明らかにされていない。蜜蠟は早くエジプト人やギリシア人やローマ人には知られていたから,蜜蠟を燃料として照明に利用することはかなり古くから行われたかと思うが,ろうそくの形態を具体的に徴しうる最古の史料は,イタリアのエトルリア地方オルビエトのゴリニ墳墓の壁画である。この壁画は前3世紀に属し,ギリシア芸術の影響を受けたきわめて写実的なものであるが,その宴会の図に2基の燭台が描かれ,各頂点の3個のくちばし状の突起にろうそくがそれぞれ横ざしにされている。これと同様の青銅製燭台は,ポンペイの遺跡からも発見され,また受皿の中央に釘の立っている青銅製燭台も同遺跡から出土し,さらにろうそくをそのままはめこむ筒形の青銅製燭台がシリアから発見されている。このことから,ろうそくが前3世紀にはすでに存在していたことが知られる。おそらくろうそくはギリシア末期に発明されたものと考えてよいであろう。中国では古代の《儀礼(ぎらい)》に〈執燭〉の語が見えているが,これは〈たいまつ〉を手にしたもので,ろうそくのことではなかったであろう。1世紀に書かれたといわれる《西京雑記》には,漢の高祖のとき(前3世紀末)に閩越(びんえつ)王が〈蜜燭〉200枚を貢献した記事が見え,この蜜燭というのはおそらくろうそくのことであろうと思われるが,この記事がどこまで信用できるかはつまびらかでない。しかし,燭台の存在は,遺物のうえから,前3世紀ころまでさかのぼることができる。戦国時代末と認められる河南省洛陽県金村の墳墓から,受皿の中央にくぎの立っている高台の青銅製燭台や,ふたの半面がちょうつがいで開閉し,開いたふたの裏の中央にくぎの立っている楕円箱形の青銅製燭台など9基が出土しており,中国でも前3世紀ころすでにろうそくの存在したことが知られるのである。漢代になると青銅製燭台や明器の燭台などの遺物も多く,晋代以後には〈蠟燭〉の語も文献にしばしば見えている。このように西洋,東洋ともに,ろうそくの出現した時代がだいたい前3世紀ころとなっており,ろうそくおよび燭台の材料や形態などまで互いに相似ているのは,当時の東西文化の接触・交流の浅からぬ関係を示すものといえよう。

日本にも仏教の伝来に伴って輸入されたらしく,奈良時代にすでにろうそくの用いられたことは確かで,747年(天平19)に記された〈大安寺流記資財帳〉にも,722年(養老6)に元正天皇から同寺に賜ったもののなかに,〈蠟燭40斤8両〉の品目が見えている。ろうそくの形状などを示す史料は平安期に下るが,《兵範記》1132年(長承1)の七夕の条の挿図などがあり,その形状が今日のものとほとんど変わらないことがわかる。当時,日本で用いられたろうそくはやはり〈蜜ろうそく〉で,中国から輸入された貴重品であったから,宮廷・寺院の一部に用いられたにすぎず,平安後期に中国との交通がとだえるに及んでその輸入も中絶して,エゴマなどの灯油の製造が発達することになった。〈松やにろうそく〉の製造が行われるようになったのも同じ事情によるものであったであろう。〈松やにろうそく〉にはモロコシなどを入れて燭心とするものと,まったくこれをしないものとがあり,普通には燭心を入れずに作ったから,〈松やにろうそく〉は技術的には最も原初的なろうそくと称すべきものであった。

 室町時代に入ると義堂の《空華日用工夫略集》や《太平記》などにろうそくの記事が見えているから,ろうそくは明代に入るとともに再び中国から輸入されたようであるが,当時のろうそくが〈蜜ろうそく〉であったか〈木ろうそく〉であったか明らかでない。《太閤記》に見える1594年(文禄3)泉州堺の菜屋助左衛門が呂尊(るそん)から帰ってろうそく1000丁を貢献したという話にことよせて,《本朝世事談綺》は〈文禄年中までは,日本に蠟燭なし,助左衛門が献ずるろうそくに傚(なら)ってこれを製す,蠟を採もの凡(およそ)五種あり,漆樹(うるしのき),荏桐(えぎり),榛(はり),ダマノ木,烏臼木(うきゆうもく),また女貞木(いぼたのき)よりも取ると本草にあり〉といっている。しかし〈木ろうそく〉の製法はこれより早く室町時代後期には伝えられ,天文~永禄(1532-70)のころになると,すでに国産のろうそくも製造されたらしい。《親俊日記》や《甲陽軍鑑》などには陸奥,越後の土産のろうそくが贈進されたことが見えている。

 江戸時代に入って〈木ろうそく〉の生産が進むにつれ,ろうそくの利用はようやく広まった。前期には山城,越後,陸奥の諸国がろうそくの産地として知られたが,ろうそくの普及による需要の激増に伴い,江戸,大坂,京都などの大都市にはこれを取引するろうそく問屋ができ,また各地にろうそくあるいは生蠟の製造を行うものが現れた。当時,熱心にその普及につとめたのは農学者大蔵永常で,その著《農家益》にはハゼノキの栽培と製蠟法が詳しく述べられている。また鳥取,出雲,山口,宇和島の諸藩では,生蠟およびろうそくの専売を行って成功を収めたが,宝暦12年(1762)奥書の稲塚和右衛門《木実方(きのみかた)秘伝書》は,出雲藩木実方役所の創設当時の苦心経営の事情を伝えるものである。〈木ろうそく〉はウルシ,ハゼノキなどウルシ科の木の実をついて蒸し,しぼって取った固体脂肪を原料とするもので,まず,こよりに灯心数本をからみ合わせて燭心を作り,これに手のひらで原料の木蠟に油を混ぜて練ったものを塗りかけ,干してはまた塗りかけ,これを数回繰り返して適宜の大きさとする。〈木ろうそく〉はこのようにして作ったから,これを作ることを〈かける〉といい,ろうそくの大きさももっぱら〈何匁目掛〉といって,ろうそく1本分の製造に要する蠟の分量によって呼んだのである。なお下に牛蠟をかけ,その表に木蠟をかける仕方も行われたが,このような作り方を〈巻掛(まきがけ)〉あるいは〈生掛(きがけ)〉といっていた。これに対して粗製のろうそくには,アシの茎に灯心をからみ合わせて燭心とし,牛蠟,鯨蠟などの原料を筒形の鋳型に流し込んで作る仕方も行われ,これを〈筒掛〉または〈牛蠟〉などと呼んでいた。当時行われたろうそくには〈三百目掛ろうそく〉〈百目ろうそく〉などと呼ばれる大型のものから〈懐紙ろうそく〉(〈懐中ろうそく〉とも),〈仰願寺(ごうがんじ)〉などと呼ばれる小型のものまであり,また〈絵ろうそく〉(〈華ろうそく〉,〈塗りろうそく〉とも)などといってろうそくの表面に花鳥などの模様を描いて,赤,緑,黄などの彩色を施したものもあった。〈絵ろうそく〉は会津の名産として知られ,主として雛祭や仏事などに際して用いられた。こうしてろうそくは手燭や提灯にも用いられ,江戸末期には都市を中心にかなり広く普及したが,多くは儀式,酒宴,集会,応接など,おおぜいの人の参集する場合や夜間の外出,旅行などに限って用いられ,武家,町家の上流など一部のものを除いては,なお灯油をとぼした行灯(あんどん)の光で夜を過ごした。

 地方の農山漁村までろうそくが行きわたったのは明治になって〈西洋ろうそく〉の製造が行われてからであった。〈西洋ろうそく〉は綿糸を燭心とし,パラフィン,ステアリンなどを原料として製造するもので,その製造には多数の金属製の円筒鋳型をそなえたろうそく製造機械を使用し,まず鋳型の中に燭心を通し,溶融した原料を注ぎ込み,次いで鋳型の周囲を冷却して凝固させた後,鋳型から取り出して製品とする。在来の〈木ろうそく〉は手工的に製造され,色も淡黄褐色で,光度もまことに暗いものであったが,〈西洋ろうそく〉は機械的に多量に製造され,その色も乳白色で美しく,かつ光度も明るいため,その伝来・普及に伴って在来の〈木ろうそく〉の製造と使用は急激に衰退してしまった。
執筆者:

ローマ人はピッチまたは蠟をしみこませたアマひも,後にはピッチにつけて蠟をかぶせた灯心草(イグサ)などの条片を利用した。初期のろうそくには〈獣脂ろうそく〉〈ピッチろうそく〉〈蠟ろうそく〉の種類があったが,9世紀の初めになって,やっと松割木を圧迫しはじめた。中世には,よった麻くずを心にした〈蠟たいまつ〉が作られた。すでに1601年には,フランスにろうそく製造業者の同業組合が存在した。蠟ろうそくは14世紀には王侯の宮廷でもまだ貴重品として使用されたにすぎなかったが,その使用を拡大したのはカトリック教会であった。教会用のろうそくは清浄な蜜蠟から作らなくてはならないので,ミツバチの飼養は当時は重要な産業であった。一般家庭では廉価なウシ,ヒツジなどの〈獣脂ろうそく〉が使用され,特に15世紀以来〈獣脂ろうそく〉が広く使われるようになった。当時ろうそく工業はたいていセッケン製造業者の手にあった。後になると,ろうそくは最も流行した照明として,貴族・富豪の部屋,宮廷などでお祝いや祭りのさいに使われ,特に18世紀には宮廷ではろうそくをぜいたくにとぼして豪華な夜会を催した。1725年ころひじょうに良質な原料としてマッコウクジラの頭蓋(とうがい)から得られた鯨油が現れたが,これはぜいたくなろうそくにだけ使用された。1818年ブラコノーBraconnotおよびシモナンSimoninは初めて〈ステアリンろうそく〉を製造したが,30年ころパラフィンが発見され,ただちにイギリスで〈パラフィンろうそく〉が作られた。

ろうそくの火は,太陽,たいまつなどと同様に,ギリシア・ローマ以来,闇(やみ),悪霊を払い,物を浄化する力があるとされた。その伝統はキリスト教会にも継承され,クリスマス,マリアお潔めの祝日,そのほか種々の典礼のさいにろうそくが点火される。ろうそくの火のこの力は,さらにろうそくそのものにも転移され,たとえば復活祭のろうそくは細かく切って信者は護符として家へ持って帰る。なお神聖な動物であるミツバチの作る蜜蠟は,神聖な物質として尊敬されたので,ろうそくの火の神聖性と相まって,ろうそくは未来を占う〈蠟占術〉に使用された。また,ろうそくは生命の象徴とされ,たとえばグリム兄弟の《子どもと家庭のための昔話集》第44話〈死神の名付親〉には,地面の下のほら穴に人間の命の灯火である何千というろうそくが燃えていて,それが一つ消えるとだれかが死に,燃えあがるとだれかが生まれるという俗信が語られている。ろうそくを神前に奉納する習慣は今日でも行われるが,これはろうそくを自己の生命ないし自己自身とみなして自己奉納に代えたもので,それゆえしばしば祈願者の身長と同じ寸法をもっていた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の蠟燭の言及

【ジュヌビエーブ】より

…美術では世俗の衣をつけた乙女として表され,まれに修道女の姿をとることもある。胸にメダルをかけ,手にはろうそくをもつことが多い。後者は,聖女がミサに出席したおりに,悪魔が消したろうそくを天使が即座にともしたという伝説にもとづく。…

【燭台】より

…灯火具の一種で,ろうそくを立てる台。日本では灯油と灯芯による灯火具としての灯台は早くから行われ,平安時代にはすでにその形もととのったが,燭台はいつごろから使われたかはっきりしない。…

【灯火】より

…夜間や暗所で明りをとるための灯火として,最も基本的なものは炉火,松明(たいまつ),ろうそく,ランプの4種であった。
[炉火]
 人間の住居として欠かせない要件は,外界から居住空間を区画する建物と,その内部に燃えるである。…

【蜜蠟】より

…これを天日でさらすか,活性炭,酸性白土で精製して淡黄色ないし白色の蠟とする。蜜蠟は可塑性に富み,乳化しやすいため,化粧品,つや出し剤,ろうそく,防水剤,膏薬,チョーク,クレヨンの製造などに使用される。市販品には蜜蠟以外に木蠟,ステアリン酸,パラフィン,セレシンなどを混入して用いることが多い。…

※「蠟燭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android