被害者学(読み)ひがいしゃがく(英語表記)Victimology; Viktimologie

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

被害者学
ひがいしゃがく
Victimology; Viktimologie

犯罪が実行されるにあたっての被害者役割および被害者の寄与を研究の対象とする学問分野。従来の犯罪学ではもっぱら加害者の側面から犯罪原因を究明しようとしてきたが,これに対し被害者学は,犯罪における被害者の重要な役割に注目し,犯罪にいたる過程における被害者側の有責性の度合い,犯罪を受けやすい被害者の特性などの研究を行なって独立した学問分野を形成するにいたった。近時においては,被害調査や犯罪認知の過程における被害者の役割,刑事手続における被害者の地位なども研究の対象とされている。

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百科事典マイペディアの解説

被害者学【ひがいしゃがく】

被害者の側から犯罪現象を考察しようとする学問victimology。実証的犯罪学のひとつ。被害者の特性,被害者・加害者関係の分析,被害調査,被害届出行動の研究などを行う。最近では,刑事司法過程における被害者に対する人権侵害,マス・メディアによるプライバシーの侵害,その結果としての社会的不適応や自己破壊など,重畳的な被害者化ということが被害者学上の重要問題となっており,刑事司法上の被害者の人権への配慮や被害者救済活動などの重要性が指摘されている。また,特に司法過程で第2次被害者化の危険の大きい性犯罪被害者の救済のために,女性警察官を性犯罪捜査員に指定するなどの試みが各都道府県の警察などで行われるようになってきている。なお,犯罪被害者等給付金支給法犯罪被害者救援基金犯罪被害者保護法犯罪被害者等基本法などの被害者救済制度は,被害者学の成果でもある。
→関連項目性暴力犯罪心理学

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

被害者学
ひがいしゃがく
victimology

人間的・社会的事象としての犯罪(加害・被害関係の一場面)における被害者に関する事実学。被害者の特性や被害を受けやすい状態・状況、犯罪行為(加害行為の一態様)にかかわる加害者と被害者との相互関係などを事実学的に解明することを通して、犯罪の予防および犯罪に対する善後措置の形成に資する。[須々木主一]

研究史

被害者の問題を体系的に把握するための研究が積極的に進められるようになったのは第二次世界大戦後のことである。それ以前にも、被害者に関する犯罪学的問題意識がなかったわけではないが、関心は犯罪(加害行為)・犯罪者に収斂(しゅうれん)し、被害者に関する研究は、個々の犯罪または罪種、たとえば殺人や傷害、性犯罪や窃盗・詐欺など、部分的・断片的なものにとどまっていた。ところが、1948年、ヘンティッヒH. v. Hentigがその著『犯罪者とその被害者』において、被害を受けやすいタイプという観点から犯罪の一要素として働く被害者を類型的に把握することを試み、54年、エレンベルガーH. Ellenbergerの論文「犯罪者とその被害者との心理学的関係」は被害原因なるものを尋ねて潜在的被害者の存在に説き及び、56年、メンデルソーンB. Mendelsohnが「被害者学」の標題を付した論文において被害性(被害者性)の観念を掲げて被害者の被害受容性について論じ、また被害者の挑発の有無、加害者の動機、加害者と被害者の人間関係などを基準にして犯罪における被害者の責任を五段階に分類して検討し、さらに、犯罪学と表裏の関係にあってしかもそれとは別個独立の学問領域をなす被害者学を構築すべき旨の主張を展開した。わが国では、1960年代の前半から中田修、宮沢浩一らによるメンデルソーンの所説の紹介と被害者学的研究の推進があり、その後、被害者学の名が広く知られるようになった。[須々木主一]

被害者の分類

被害者学は、ともすれば感傷的なものになりがちな被害者のイメージをより現実的なものにした。犯罪における被害者の責任(被害者の有罪性)の修正された五段階説によれば、(1)完全に責任のない被害者(嬰児殺(えいじさつ)や嬰児誘拐における嬰児、無差別爆破事件の巻き添えなど)、(2)責任の少ない被害者(犯罪場面に消極的に参加している。侮辱し心理的苦痛を与えて加害者の害意を誘発した被害者、危険を容易に察知して逃げられたはずであるにもかかわらず犯行地に赴いた強姦(ごうかん)の被害者など)、(3)加害者と同程度に責任のある被害者(自発的に犯罪場面に参加している。嘱託・承諾殺人における被殺者、喧嘩(けんか)口論で互いに挑発しあった結果の殺傷事件の被害者など)、(4)加害者よりも責任のある被害者(被害者の挑発が加害の主たる要因と認められる。相手方の家族を殺すなどと脅したために攻撃された殺傷事件の被害者など。メンデルソーンは無謀運転で自らが死傷した場合をこれに数える)、(5)もっとも責任のある被害者(不法な攻撃を加えたため正当防衛にあって殺傷されたものなど。メンデルソーンは被害妄想による想像的被害者などもこれに加える)というぐあいである。また、罪種別では、たとえば、詐欺罪の被害者には軽信型や知慮浅薄型のほかに強欲型があること、尊属殺人の場合は非難に値する態度はむしろ被害者に多いこと、また、窃盗罪にあたる万引では被害者である店舗の側に問題のある例が少なくないこと、少年事件における恐喝・傷害はしばしば「いかれた少年」たちの間で発生することなどが指摘される。[須々木主一]

意義

被害者学は生成途上の学問領域である。その現状が犯罪学の補助学的地位を離脱したといいうるかどうか、むしろ、犯罪学の一分野にとどめる見解も有力である。確かに、犯罪学の発展は著しく、犯罪を社会的相互作用の視野でとらえることの認識が深められているので、ここで、被害者による犯罪誘発のメカニズムや加害者と被害者の人間関係を研究することの重要性を強調したり、各罪種における被害者の特徴を指摘したり、その研究成果が犯罪対策に役だつことを力説したりするだけでは、被害者学の独自性が生かされることにはならない。形式上、犯罪とされる行為のすべてに被害者の存在が予定されているわけでもない(たとえば賄賂(わいろ)罪。行政犯にはその種のものが多い)。しかし、自然災害による被害、その被害者などのことばがあるところからも明らかなように、被害・被害者の観念は犯罪という枠組みを超えて現実的である。加害・加害者の観念にしても同様である。被害者学が加害・被害関係における人間の姿をたまたま犯罪というフィルターを通して眺めている現状にあるとしても、加害・被害の観念の現実的射程は広く、その意味すべきところは深い。自殺は同一人が加害者であり被害者であるとされ、また、同一人が状況のいかんにより加害者にも被害者にもなりうる例があるとされる。被害受容性、潜在的被害者の観念は重要である。被害原因論の充実が期待されている。[須々木主一]
『宮沢浩一著『被害者学』(紀伊國屋新書) ▽宮沢浩一編『犯罪と被害者 第1、2巻』(1970、72・成文堂)』

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最新 心理学事典の解説

ひがいしゃがく
被害者学
victimology

被害者学の始まりは,ドイツの犯罪学者ヘンティッヒHentig,H.vonの著書『犯罪者とその被害者The Criminal and His Victim』(1948)にあるとされる。ヘンティッヒは,犯罪の研究のためには,加害者-被害者関係を科学的に研究する必要があるとし,実証的犯罪学positivist criminologyの下位概念としての実証的被害者学positivist victimologyを確立した。一方,イスラエルの弁護士であるメンデルソーンMendelsohn,B.はこれと同じ頃に被害者学の概念を提唱した。メンデルソーンの被害者学の領域は,犯罪,犯罪者との関連のみならず,家族間の争いである離婚や不貞行為,事故災害の被害者まで含む,犯罪学とは独立した学問領域として構想されていた。

 犯罪を生む要因として被害者を研究することは,犯罪における被害者の有責性を強調することになりがちである。1970年代には,被害者支援の活動の広がりとともに,このことが批判されるようになった。犯罪被害者支援の活動は,刑事訴訟において被害者の権利が剝奪された状態にあることを明らかにし,女性運動の進展は,刑事事件として認知されない被害(強姦,DV,虐待など)の広範な存在を明らかにした。これらの変化を受け,現代の被害者学は,刑事犯罪の被害者のみならず,広く権利の侵害を受けた被害者を対象とし,被害者化victimization研究の学としてだけでなく,被害者支援の学,被害者の人権を擁護するための政策学等をその範囲に含むものとなっており,法学,社会学,心理学,精神医学等の領域から学際的に研究が行なわれている。

 日本では刑法学者である宮澤浩一が『被害者学の基礎理論』(1966)など被害者学にかかわる研究を発表し,その後の日本の被害者学の中心となった。日本でも1980年に犯罪被害者等給付金支給法が成立しているが,対象は限定的であった。しかし,1995年の阪神淡路大震災などをきっかけとして日本でも被害者支援活動の実践が行なわれるようになり,当事者の主張も行なわれるようになった。被害者支援に関する法的整備は2000年前後から相次いで行なわれている。刑事訴訟法や刑事手続きの改正二法(2000),児童虐待防止法(2000),ストーカー規制法(2000)と,DV防止法(2001),犯罪被害者等基本法(2004)などがこれにあたる。

【被害者の心理】 被害者の体験,とくに対人暴力の被害体験は人に身体的,心理的,社会的に深刻な影響を及ぼす。たとえば,警察庁が把握した1998年から2000年における犯罪被害者(遺族を含む)の調査(2003)では,性犯罪被害者の99%が精神的ショックを受け,40%が仕事をしばらく休んだり辞めざるをえなかったと答えている。心理的な側面では,被害を受けるという被害者化とそれによって心的外傷を受けるというトラウマ体験traumatizationは同一ではないことに留意しなければならないが,予期せぬ突然の被害体験は,心理学的に見ればトラウマ体験と重なりがある。まず被害の渦中,あるいは直後に生じるのは,疑念や否認である。現実的な恐怖や無力感が生じることもあるが,同時に非現実感,離人感など解離症状が多様に生じうる。感情や感覚の麻痺,知覚の異常が経験されることもある。このため事件事故後の急性期の被害者の心理は多様である。被害から時間が経過した後にも,恐怖によって心身ともに不安定な状態にあることがあり,また興奮し軽躁状態となることもあり,感情がないために淡々として冷静に見えることもある。自責感,怒り,恥の感覚も生じる。時には,誘拐監禁事件などで,加害者に対する逆説的な感謝や愛着が見られることもあり,これはストックホルム症候群Stockholm syndromeとして知られている。

 被害後の心理状態は自然に回復していくことが多いが,慢性的に心身に影響が残る場合によく生じる精神障害は心的外傷後ストレス障害post traumatic stress disorder(PTSD),そのほかの不安障害,うつ病などの気分障害,適応障害,解離性障害,身体化障害,薬物乱用などである。また殺人,事故などによる喪失を体験した遺族には遷延する悲嘆反応が生じることがあり,複雑性悲嘆という概念も提案されている。

 PTSDは被害者に生じる心理的影響のうち,中核をなす精神障害である。PTSDという診断名は1980年にアメリカ精神医学会の『精神障害の診断と統計の手引き』の第3版(DSM-Ⅲ)に登場した。アメリカにおけるベトナム反戦運動,女性運動などにより,被害者の存在とその症状が明らかにされ,体験の種類にかかわらず,トラウマ体験者に生じる共通の疾患としてPTSDは記述された。軍隊における兵士の戦闘体験研究が診断基準形成の基礎となったが,女性の強姦の被害体験は,民間人のPTSDの典型として,疫学的にも臨床的にも多くの研究がなされ,PTSD研究進展の原動力となってきた。

 アメリカの大規模疫学研究によれば,一般成人のPTSD有病率は7.8%であるが,強姦被害によるトラウマ体験をもつ者では男女とも50%近くがPTSDを経験している。一方自然災害のトラウマ体験によるPTSD有病率は,男女とも10%以下である。人為的な被害体験のほうが自然に生じたトラウマ体験に比べて,PTSDの有病率が高くなることが知られている。わが国におけるPTSD有病率は,世界精神保健調査(2002~2006)のデータでは生涯有病率1.27%,12ヵ月有病率が0.70%となっており,各国の中で低い方に属する。

【被害者の心理的問題】 犯罪被害者の心理的ケアとは,被害による苦痛からの回復を図るための心理的手法を用いたケアであり,換言すれば被害者のための心理的支援活動である。しかし,非専門的な支援者の心がけとしての「傾聴」から,専門的なPTSDの認知行動療法まで,心のケア(心理的支援)ということばが指す範囲は広い。このことが「心のケアとは何か」ということについて,混乱を生んでいる。心理的ケアはつねに支援の専門性のレベルを意識して検討すること,一方で,回復に向けての包括的な支援の中で他の支援との連携をつねに図ることが必要である。安全の確保や経済の安定のみならず心理的な問題が解決されなければ,ほんとうの回復はなされない。

 犯罪被害者の心理的回復を妨げる要因の一つとして2次被害がある。被害者が当初の被害を受けるだけでなく,その後の司法や社会との関連で,被害者となったことによってさらに被害を受けることを総称して2次被害という。2次被害は被害者の回復に影響を及ぼす。2次被害の典型は,警察による事情聴取や,被告人の裁判にかかわる司法過程における被害,一方的なマスコミの取材などによる被害,支援者から受ける被害,近隣社会からの被害などである。

 裁判などに関連して,とくに犯罪被害者の犯罪や加害者に対する思いを被害者感情ということがある。殺人や強姦などの事件では,被害者感情は,第三者が犯人に対して抱く感情よりも,概して厳しいものであり,長く継続する。殺人事件や性犯罪被害者は加害者に厳罰を望むことが多い。たとえば死刑制度廃止に関して,犯罪被害当事者の団体である「全国犯罪被害者の会」は,死刑制度の存続,維持を訴えている。また少年事件の被害者やその家族は,少年法によって未成年の加害者に特別の対処がなされることに対して苦痛を感じていることがある。

【裁判への被害者参加とその問題点】 過去,刑事訴訟において被害者が「蚊帳の外」に置かれてしまうことは,被害者から問題として指摘されていた。刑事訴訟法の改正を受け,2008年から裁判への被害者参加制度が導入された。この制度では,被害者や直系親族が,裁判所の許可を得て,被害者参加人という訴訟手続き上の地位を取得する。すなわち被害者が裁判の当事者となり,加害者の刑事裁判に出席し,検事とコミュニケーションを取りつつ,証人尋問,被告人質問および論告が行なえることとなった。また被害者参加人には国選弁護人を付けることも可能になった。当初の1年間で850人の被害者が被害者参加制度を利用している。被害者の権利行使が可能になったことは大きな変化である。

 一方心理的に見ると,被害者裁判参加は,本人が自分の選択で権利を行使でき,裁判の過程で起こる事柄を直接体験できる一方,被害者に犯罪の詳細や加害者の主張に直面することも要求するので心理的なストレスともなる。また裁判に参加したくても,加害者が目の前にいる裁判にPTSDや解離症状をもつ被害者が参加することは,困難なことが多い。自分の症状のために告訴をあきらめてしまう被害者もいるし,裁判に参加することで,症状を悪化させる人もいる。この制度をより安全に安定的に運営していくためには,心理教育や症状への対処を含めた心理的被害者支援が同時に強力に行なわれることが必要だろう。 →性犯罪 →犯罪 →犯罪心理学
〔小西 聖子〕

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世界大百科事典内の被害者学の言及

【被害者】より

…ただし,親告罪に関しては,告訴が公訴提起の条件であるため,その限りの積極的機能を担う。刑事司法制度上のこのような役割のため,従前は犯罪被害者に光があてられることは少なかったが,戦後,犯罪発生に対する被害者の寄与が問題とされ,広義の犯罪原因論の一分野としての被害者学が成立し,現在では独立の分野として認知されるに至っている。この被害者学は,イスラエルの弁護士であるメンデルソーンBenjamin Mendelsohnや,アメリカ亡命中のドイツ人犯罪学者ヘンティヒHans von Hentigにより1950年前後に提唱されたもので,犯罪者の潜在的エネルギーが発現する誘因となるものとして被害者の態度をとらえ,その生物学的,心理学的,社会学的特性を一定の類型性において科学的に研究しようとするものである。…

※「被害者学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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