江戸中・後期の公家(くげ)、有職故実(ゆうそくこじつ)家。烏丸光栄(からすまるみつひで)の子として生まれ、1747年(延享4)裏松益光(ますみつ)の養子となる。58年(宝暦8)に蔵人(くろうど)、左少弁となったが、竹内式部(たけのうちしきぶ)事件(宝暦(ほうれき)事件)で辞職し、60年剃髪(ていはつ)して固禅(こぜん)と称した。辞職後は平安時代の古儀の研究に没頭し、88年(天明8)の内裏(だいり)焼失の際、彼の研究の成果が採用され、平安内裏を復原して紫宸殿(ししんでん)などが再建された。97年(寛政9)『大内裏図考証(だいだいりずこうしょう)』30巻を朝廷に献上。墓所は京都市右京区の法雲院。『皇居年表』などの著書がある。
[吉田早苗]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…紫宸殿北西に清涼殿が所在し,殿上を経て紫宸殿と長橋で結んでいる。この南ブロックの殿舎・諸門の規模と形式は1790年(寛政2)再建のときに,裏松光世(固禅)の《大内裏図考証》に基づき,平安時代内裏の古制を採用復活したが,1855年再建の現存殿舎にも踏襲された。中ブロックは東方の庭池に面して小御所,御学問所,御三間,常御殿の奥向殿舎からなり,格調の高い書院造につくる。…
※「裏松光世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新