改訂新版 世界大百科事典 「補償教育」の意味・わかりやすい解説
補償教育 (ほしょうきょういく)
compensatory education
教育の機会均等を実質化し,そのことを通して社会の貧困問題の解決に資することを目的として行われる教育であり,1960年代以降,先進資本主義諸国,とくにアメリカおよびイギリスにおいて採用されるにいたった新しい教育政策の理念である。経済協力開発機構(OECD)の教育政策提言の一つの基調ともなっている。その理念は,経済的,社会的,文化的に恵まれない家庭的ないし地域的環境に育つ子どもたちは,たとえ平等な学校教育の条件が与えられても,入学前にすでに形成されている学校教育に対する無関心や言語能力の低下などのために,発達の平等な機会を保証されたことにはならないという立場から,そうした〈恵まれない子どもたちthe disadvantaged children〉に対して,その置かれた環境の劣悪さ(たとえば貧困)の程度に比例して教育サービスを傾斜的に配分することによって,彼らのハンディキャップを補償する必要があるというものである。1964年にアメリカのジョンソン大統領が年頭教書で示した〈貧困との闘いWar on Poverty〉の宣言は,本格的な補償教育政策の実施を提唱する端緒となった。同年の経済機会法に基づく幼児早期教育計画であるヘッド・スタート計画,および翌65年の初等中等教育法の第1章に基づく低所得家庭の子弟が密集する地域における特別の教育活動を振興するための連邦政府の財政援助は,アメリカにおける補償教育政策の典型的なものである。イギリスでは,67年のプラウデン報告に基づき,68年と69年にそれぞれ教育優先地域計画および地域社会発展計画が開始されている。
補償教育の理念は貧困の原因として,貧困から脱出しようとしない貧困者自身の生活態度,あるいは貧困階層の実体をなしている黒人,アメリカ・インディアン,スペイン語系(メキシコ系,プエルト・リコ系など)といった少数民族の文化の中に根深い欠陥があるとし,こうした欠陥をもった文化の中で育つ子どもたちに対して教育によってその欠陥を補償しようとする文化剝奪論cultural deprivation(貧困の文化論culture of poverty)と,貧困階層の青少年の教育に対する投資は社会的に利潤を産出しうるとする教育投資論とから理論化される。補償教育政策の動向は,アメリカにおける人種差別撤廃を求める公民権運動など社会的不平等を是正させる社会運動の前進を背景としているが,その成果をめぐっては,基礎学習の獲得や自律の精神の育成など明らかな改善がみられたという報告がある一方で,激しい論争がつづけられている。とりわけ文化剝奪論については,少数民族の文化の価値を否定し,その尊厳を傷つけるものであり,黒人などの子どもたちが適切な文化環境を剝奪されていると説明することによって,彼らの教育は困難であり,成功の見込みは乏しいという偏見を教師に与えているとする厳しい批判がある。
執筆者:黒崎 勲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報