?~前637(在位前651~前637)
春秋諸国の襄公のうち,孟子(もうし)が春秋の五覇の一人にあげる宋の襄公が知られる。即位直後に斉の桓公(かんこう)の葵丘(ききゅう)の盟に参加し,桓公の没後,鹿上(ろくじょう)で斉・楚(そ)との会盟を主宰する。丞相(じょうしょう)の目夷(もくい)から小国が覇を争うことを諫(いさ)められたが,盂(う)で会盟を行った。不満を持つ大国楚との戦いで,敵の陣が整うのを待って敗北し,負傷した後に亡くなる。宋襄の仁とは,状況を考えずに情けをかけることをいう。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…ただ周以前の秦一族の来源については,その祖先が西方異民族であったとする説と,最初は山東省付近にいてやがて西へと移住していったという説の2説がある。前770に周の平王が,周室を助けたという功績により,秦の襄公(前777‐前766)に岐山以西の土地を与えて封建したことでもって周王朝下の諸侯の一員となる。文公(前765‐前716)のときには,汧水(けんすい)と渭水が合流する付近に都を置いたが,勢力の拡大とともに春秋時代には平陽(陝西省岐山県南西),雍(よう)(陝西省鳳翔県南)に置かれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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