襄公(読み)ジョウコウ

大辞林 第三版の解説

じょうこう【襄公】

?~前637) 中国、春秋時代の宋の王。楚と戦った時、楚の陣容が整わないうちに攻撃するように勧められても、仁義に反するといってきかず、大敗した。 → 宋襄そうじようの仁じん

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精選版 日本国語大辞典の解説

じょう‐こう ジャウ‥【襄公】

[一] 中国、周代の秦の君。(おくりな)は襄。前七七一年西戎、犬戎の侵略で幽王が殺されたとき、防戦して周を救った功で初めて諸侯となった。
[二] 中国、春秋時代のの君。名は諸児。諡は襄。かつての宿敵紀を討って九世の仇を復し、春秋に名をとどろかせた。子の無知に殺された。
[三] 中国、春秋時代の宋の君。名は茲父(じふ)。諡は襄。斉の桓公の後を受けて諸公の盟主となり覇を楚と争い、泓(おう)に戦ったとき、相手につまらない情をかけ、かえって傷を受けて死んだ。後世これをそしって「宋襄之仁」という。

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世界大百科事典内の襄公の言及

【秦】より

…ただ周以前の秦一族の来源については,その祖先が西方異民族であったとする説と,最初は山東省付近にいてやがて西へと移住していったという説の2説がある。前770に周の平王が,周室を助けたという功績により,秦の襄公(前777‐前766)に岐山以西の土地を与えて封建したことでもって周王朝下の諸侯の一員となる。文公(前765‐前716)のときには,汧水(けんすい)と渭水が合流する付近に都を置いたが,勢力の拡大とともに春秋時代には平陽(陝西省岐山県南西),雍(よう)(陝西省鳳翔県南)に置かれた。…

※「襄公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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