改訂新版 世界大百科事典 「西域仏教」の意味・わかりやすい解説
西域仏教 (さいいきぶっきょう)
インドからの仏教の伝播と東漸に重要な関係をもった西域とくに中央アジア諸国の仏教。前3世紀ころに在位したアショーカ王によってインド全土から周辺国にまで流布した仏教は,前2世紀ころにはバクトリア(トハラ,大夏)に確実な足跡を残し,紀元前後には中国にまで流伝するにいたった。その経路は,中央アジアの通商路シルクロードを経たものであり,後代にいたるまで中国では,インド(天竺)はもちろん大月氏,パルティア(安息),ソグド(康居),クチャ(亀茲)などの出身学僧が仏典翻訳などに活躍した。また中国からも法顕,玄奘などの学僧がインドへの求法巡礼を果たし,彼らの旅行記が中央アジア仏教の解明に多大の貢献をしている。近代の中央アジア探検により,多数の仏教遺跡が紹介研究されるとともに,漢文のほかサンスクリット,プラークリット語,サカ語,ソグド語,トハラ語,古代トルコ語,さらにチベット語,西夏語,モンゴル語などの仏典資料が発見されている。ホータン(于闐),クチャ,トゥルファン(高昌)などの国々には,大乗仏教だけでなく小乗仏教が盛行していた跡も明らかとなっており,大乗仏教の盛行した中国との相違も注目される。8世紀にチベットに正式導入された仏教(ラマ教)は,後期インド仏教,とくにタントラ仏教であったが,さらにモンゴルにおいても受容され,中国仏教とその勢力を二分するまでにいたる。シルクロードの衰亡,イスラムの浸透とともに,中央アジアの仏教も衰亡していくが,ラマ教のみが現代にいたるまで存続している。
執筆者:原田 覚
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報