西隆寺(読み)せいりゆうじ

日本歴史地名大系 「西隆寺」の解説

西隆寺
せいりゆうじ

[現在地名]守山市岡町

岡塚山と号し、天台真盛宗。本尊阿弥陀如来。「輿地志略」には、厩戸皇子が守屋大臣と戦い敗れておか村に逃れたとき岩窟に隠れて難を避け、のちに一寺を建立し、西隆寺と号したという伝承が載る。元禄六年(一六九三)の当寺縁起によれば、天武天皇七年(六七九)には益須やす寺に隣接していたといい、中世には延暦寺領立入たてり荘にあったことから立入寺と称したが、享徳三年(一四五四)堂舎を焼失、寺宝・記録をすべて失ったという。明応二年(一四九三)には天台僧沙門盛全が立入利国の発願によって再興したが、永正一四年(一五一七)八月、永原氏と浮気氏の合戦の際、兵火にあい廃されたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「西隆寺」の意味・わかりやすい解説

西隆寺 (さいりゅうじ)

奈良市にあった称徳天皇勅願にかかる尼寺。767年(神護景雲1)に造西隆寺司を置いて,造営が開始された。771年(宝亀2)諸大寺とともに寺印を頒布されているので,このころ造営がほぼ完成したと思われる。寺地西大寺近傍,右京一条二坊に4町の広さを占めた。880年(元慶4)に西大寺の管下に入った。それはこの寺が西大寺の僧らの法衣を洗濯する所であるというが,そのまま実情を表すとは考えられない。鎌倉時代には廃絶した。
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