言水(読み)ゴンスイ

デジタル大辞泉 「言水」の意味・読み・例文・類語

ごんすい【言水】

池西言水いけにしごんすい

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精選版 日本国語大辞典 「言水」の意味・読み・例文・類語

ごんすい【言水】

  1. いけにしごんすい(池西言水)

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改訂新版 世界大百科事典 「言水」の意味・わかりやすい解説

言水 (ごんすい)
生没年:1650-1722(慶安3-享保7)

江戸前期の俳人。重頼門。姓は池西,名は則好。通称は八郎兵衛。別号は兼志,紫藤軒,風下堂(鳳下堂),洛下堂。奈良の人。祖父良以が和歌,父柳以が俳諧をよくした影響からか,12歳のころから俳諧に親しみ,16歳には早くも法体して俳事に専念したと伝えるが,句の初出は1672年(寛文12)刊《続大和順礼集》で,23歳であった。76年(延宝4)ごろから江戸にいて,芭蕉才麿,幽山ら気鋭の若手俳人たちと新風を競い,78年から毎年,《江戸新道(しんみち)》《江戸蛇之酢(じやのすし)》《江戸弁慶》《東日記(あずまのにき)》と出しつづけ,過渡期の俳壇に主導的役割を果たし,蕉風俳諧育成の一翼をになった。82年(天和2)上洛後,諸国を遍歴して勢力をひろげ,85年(貞享2)ごろから京都に定住して,《京日記》(1687),《前後園(ぜんごのその)》(1689),《新撰都曲(みやこぶり)》(1690)等を著し,過渡期の漢詩文調を克服した優美な連歌調の新風を世に問い,大いに迎えられた。1707年(宝永4)には再び江戸に下り《我身皺(わがみのしわ)》を編集。20年(享保5)郷里奈良に年を過ごし,翌年上洛。同年冬から中風を病み床についたまま享保7年9月24日永眠。享年73。京都京極誠心院に葬る。作風は感覚的で,官能的でさえあったが,自然観照にも優れ,とくに〈凩(こがらし)の果はありけり海の音〉(《新撰都曲》)の句が人口膾炙かいしや)して,〈凩の言水〉とあだ名された。〈猫逃て梅動(ゆすり)けりおぼろ月〉(《初心もと柏》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「言水」の意味・わかりやすい解説

言水
ごんすい
(1650―1722)

江戸前期の俳人。池西氏。別号紫藤軒(しとうけん)、洛下堂(らっかどう)その他。奈良出身。16歳で法体(ほったい)して俳諧(はいかい)に専念し、1676~77年(延宝4~5)ごろから江戸に出て談林俳諧の全盛期を背景に、芭蕉(ばしょう)、幽山(ゆうざん)、才麿(さいまろ)らと交流しつつ活発な撰集(せんしゅう)活動を展開、談林から蕉風への転換期における先駆的俳人に数えられた。82年(天和2)以後はほぼ京都に定住、京、大和(やまと)、北陸、山陰から九州まで俳壇勢力を伸ばして元禄(げんろく)俳壇の一重鎮と仰がれるに至った。編著は『東日記(あずまのにっき)』『新撰都曲(みやこぶり)』『初心もと柏(がしわ)』以下15を数え、作風は感覚的、官能的、唯美的傾向をもつ。墓所は京都・誠心院(せいしんいん)、和泉(いずみ)式部の墓のそばにある。

[今 栄蔵]

 木枯しの果(はて)はありけり海の音

『松尾靖秋著「池西言水」(『俳句講座2』所収・1958・明治書院)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「言水」の解説

言水 ごんすい

池西言水(いけにし-ごんすい)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「言水」の意味・わかりやすい解説

言水
ごんすい

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