大学事典 「言語学研究」の解説
言語学研究
げんごがくけんきゅう
linguistic studies
トレド翻訳学校などにおいて11世紀にはすでに,アラビア語などセム語派と欧州諸語の比較は行われていたが,両者のより精密な親縁性の研究は,16世紀のギヨーム・ポステル,G.(Guillaume Postel,1510-81)にはじまる。彼は1540年前後にコレージュ・ロワイヤル(王立教授団学校)で東洋諸語について講義し,ヘブライ語とセム諸語の親縁性を初めて論じた。言語史では,ヴァロ(Marcus Terentius Varro,116BC-27BC)の『ラテン語史De lingua latina』が早くも紀元前1世紀に著されているが,俗語の歴史が登場するのは,ジョアシャン・ペリオン,J.(Joachim Périon,1498頃-1559)の『フランス語の起源De linguae gallicae origine』(1554年)など16世紀以降である。俗語文法も,ネブリーハ,E.A.de(Elio Antonio de Nebrija,1441-1522)の『カスティーリャ語文法Gramática de la lengua castellana』(1492年)など15世紀末以降になる。
[本格的な言語比較研究]
本格的な歴史的言語比較研究は,18世紀イングランドのインド研究者ウィリアム・ジョーンズ,W.(William Jones,1746-94)にはじまる。彼はギリシア語,ラテン語,ペルシア語,ゲルマン語,ケルト語(19世紀にスラヴ諸語が追加)はすべてサンスクリット語の一族であると主張し,ここに印欧語比較言語学が開始された。印欧語以外では,マジャール(ハンガリー)のシャイノヴィッチ・ヤーノシュ,S.(Sajnovics János,1733-85)が,1769年にサーミ語とマジャール語の親縁性を見いだしている。
大航海時代とともに,新大陸の言語が発見され,記述されるようになった。マゼランの世界周航(1519~22年)に同行したイタリア人ピガフェッタ,A.(Antonio Pigafetta,1480頃-1534頃)は,モルッカ諸島などの言語を書き留めた。宣教師たちによる言語記述,文法作成も,イスパニア人修道士バスケス・デ・エスピノーサ,A.V.(Anotonio Vázquez de Espinosa,?-1630)による『インド諸島の言語の混乱と多様性』(1629年)のアメリカ大陸の諸言語の記述など数多い。世界中の言語の辞典としては,1786年にロシアのエカチェリーナ2世(在位1762-96)の命によって収集された『全世界言語辞典』が嚆矢である。
19世紀では,ドイツのアーデルンク,J.C.(Johann Christoph Adelung,1732-1806)による『ミトリダーテスMithridates(言語学大全)』(1806-17年)という総合的試みがあるが,未完に終わった。18世紀末のジョーンズ(William Jones)に始まる印欧語比較言語学は,ベルリン・フンボルト大学の創設者フンボルト,K.W.von(Karl Wilhelm von Humboldt,1767-1835)による言語思想史上の貢献がなされたのち,ボップ,F.(Franz Bopp,1791-1867)とヤーコブ・グリム,J.(Jacob Grimm,1785-1863),コペンハーゲン大学(デンマーク)のラスク,R.C.(Rasmus Christian Rask,1787-1832)の3人によって精密な学問として確立された。ボップは1821年にベルリン大学でサンスクリット学と比較言語学の講座を開設した。ラスクは1823年にコペンハーゲン大学の文学史の教授となり,比較言語学的な講義を行った。ライプツィヒ大学のブルークマン,K.(Karl Brugmann,1849-1919)は言語の歴史的変化,とりわけ音変化の法則性を重視して,「青年文法学派Junggrammatiker」の中心となった。フランスでの比較言語学の草分けは,1852年パリ大学(ソルボンヌ)に創設された比較言語学の講座を担当した,ドイツ生まれのギリシア語学者シャルル=ブノワ・アーズ,C.=B.(Charles Benoît Hase / カルル=ベネディクト・ハーゼKarl Benedikt Hase,1780-1864)であった。
[20世紀以降]
ソシュール,F.de.(Ferdinand de Saussure,1857-1913)が,1906年から11年まで3期にわたりジュネーヴ大学(スイス)で行った「一般言語学講義」は,弟子たちの講義ノートが出版されるに及び現代言語学の基礎となった。通時言語学と共時言語学,ラング(社会に共有される言語)とパロール(個人的活動としての言語),シニフィアン(能記)とシニフィエ(所記),二重分節(音の区分と意味の区分)など,今日でも用いられる言語学的用語は彼によるものである。アメリカのシカゴおよびイェールで教鞭をとったサピア,E.(Edward Sapir,1884-1939)は,ネイティブ・アメリカンの諸言語の研究を進め,世界観を規定する諸言語の機能を指摘して,言語学と人類学の橋渡しを行った。20世紀後半の代表的言語学者は,マサチューセッツ工科大学のチョムスキー,A.N.(Avram Noam Chomsky,1928-)である。人間の言語には普遍的な特徴があるという仮説をもとに生成文法を提唱し,言語運用から言語形式を分析し,その奥に潜む言語能力を探り出すという戦略による言語研究を行った。
日本では1886年から東京帝国大学で教えたチェンバレン,B.H.(Basil Hall Chamberlain,1850-1935),その教えを受けドイツ留学して比較言語学を修め,東京帝国大学で教授となった上田萬年(1867-1937)により,西欧の言語学が導入された。
著者: 原 聖
参考文献: Georg Kremnitz (ed.), Histoire sociale des langues de France, Rennes, P.U.R., 2013.
参考文献: Sylvain Auroux, Histoire des idées linguistiques, Liège, Mardaga, 3 vol., 1989-2000.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報