日本大百科全書(ニッポニカ) 「謝良佐」の意味・わかりやすい解説
謝良佐
しゃりょうさ
(1050―1103)
中国、北宋(ほくそう)の学者。字(あざな)は顕道(けんどう)。寿春上蔡(じょうさい)(安徽(あんき)省)の人で、上蔡先生とよばれた。程顥(ていこう)(明道(めいどう))・程頤(ていい)(伊川(いせん))兄弟に従学し、游酢(ゆうさく)(1053―1123)、呂大臨(りょたいりん)(1042ころ―1090ころ)、楊時(ようじ)らとともに程門の四先生の一人。最初、暗記力と博識を誇り、史書を一字も誤りなく暗唱してみせたのを程顥に「玩物喪志(がんぶつそうし)」の学問だと批評され、恥じて発憤したのは有名な話。学説のうえでは、身の痛癢(つうよう)を知覚できることがすなわち仁であるとし、人の心の生命力を重視した点、程子の説く敬とは常惺惺(じょうせいせい)(心をつねに覚醒(かくせい)した状態に保つこと)だと理解した点、儒仏の心性論を明確に分析した点などに特徴がある。後の宋学の発展に大きな影響を与えたが、朱熹(しゅき)(朱子)は、謝良佐の学問は仏教の要素を多く取り入れ高遠にすぎたと批判している。著作に『論語説』があり、ほかに朱熹の編集した『上蔡語録』が残っている。
[馬渕昌也 2016年2月17日]
『荒木見悟訳注「謝上蔡」(『朱子学大系 第3巻 朱子の先駆 下』所収・1976・明徳出版社)』