改訂新版 世界大百科事典 「讃岐国山田郡田図」の意味・わかりやすい解説
讃岐国山田郡田図 (さぬきのくにやまだぐんでんず)
709年(和銅2)弘福寺水陸田目録に記された〈讃岐国山田郡弐拾町〉の水田の地について,弘福寺三綱が735年(天平7)に作成した田図。最も古い年紀を持つ田図であるが,原本ではなく,11~12世紀ごろに作成されたと考えられる写本である。弘福寺(川原寺)は9世紀以降に東寺の末寺化が進み,12世紀には寺領も含めて東寺長者の所領と化したため,弘福寺文書は東寺文書の一部として伝来することとなった。田図は幕末まで東寺に所蔵され,その存在は広く知られ模写も行われたが,やがて流出し,柏木貨一郎を経て1882年に松岡調が入手し,彼の多和文庫(香川県さぬき市,旧志度町)に現蔵されている。縦28.3cm,横124.8cm(2紙半)で〈弘福之寺〉の印が13顆(か)押されている。田図は〈山田郡林郷船椅里〉と所在を明記した上田と下田の二部分よりなる。上田,下田は墨界線による1町方格の地割中に地名,地目,面積,直米等が記され,別に田・畠等の面積,直米,田租等が集計されている。上田は水田8町余,下田は水田12町弱で,政所は下田中にある。水田は無彩であるが,人夫家は赤褐色,畠は茶色が彩色され,畠のうち開墾により田(水田または陸田)となった部分には白緑が上塗りされている。上田は高松市上林町宮西・一角の旧池代池周辺,下田はその北方の同市林町平塚・木太町平塚の大池周辺に比定され,西方の香東川の扇状地の旧河道・湧水地に立地していたことがわかる。上田部分は破損が激しいが,下田部分は,佐布田と称される屈曲した旧河道の描写とその両側の微高地上の人夫家,畠,政所(倉・屋・井戸)等の記載や彩色により,古代の集落・耕地の景観と開発のようすを提示してくれる。
執筆者:石上 英一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報