故意・過失に基づいて他人に損害を与えた場合にのみ損害賠償責任を負うという民事責任上の法原則をいう。過失責任主義は,債務不履行責任についても認められるが(民法415条),通常,不法行為責任の法原則として理解される場合が多い(709条)。
不法行為責任の最も古い形態は復讐および贖罪金の制度といわれるが,そこでは,刑事責任と民事責任とは未分化の状態にあった。やがて,不法行為責任の刑罰的性質が薄れるにつれて損害賠償の性質が強められてきた。しかし,この段階では,損害が発生しさえすればそれで損害賠償責任が成立するという,一種の結果責任主義であった。たとえばローマ法の十二表法は,このような原則に立っていた。その後,ビザンティン期に入るに及んで,ようやく,不法行為者の意思を責任成立の要素として考える法理が台頭し,それに伴って過失culpaの概念が形成されるようになった。しかし,その当時の過失は,今日の過失のように注意義務違反としてではなく,因果関係または帰責可能性を意味するものであった。したがって,注意義務違反としての過失概念が形成されるのは,その後のビザンティン法学の出現によってである。そして,このようにして形成されてきた過失,および過失責任主義の法理は,やがて各国の近代民法へと継受されていく。
このような法理が近代民法に継受された理由としては,次の点が指摘されている。すなわち,絶対主義国家を克服して誕生した近代社会の民法は,個人の自由活動を最高の理想とする,いわゆる私的自治の原則を基本とした。したがって,この原則の下では,所有権絶対の原則,契約自由の原則と並んで,さらに過失責任の原則を不可欠とする。なぜかといえば,個人の自由活動の保障と自由活動の結果発生するかもしれない被害者の保護との調整は,〈過失なければ責任なし〉,いいかえれば故意・過失に基づいて他人に損害を与えた場合にのみ損害賠償責任を負う,との過失責任主義をもって最も公平妥当なものとするのである。そのかぎりでは,過失責任主義は,個人の自由活動の保障としてその最小限度の限界づけを意味することとなるのである。このようにして,近代民法は,たとえば1804年のフランス民法典はその1382条以下において,また,1900年のドイツ民法典はその823条において,いずれも過失責任の原則を立法化するに至るのである。そして,これらの民法典を母法とした日本の民法も709条で,〈故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス〉として,不法行為法上の過失責任の原則を明らかにしているのである。また,過失責任の原則は,より正確には故意・過失責任の原則と呼ぶべきであろうが,にもかかわらず単に過失責任の原則と呼んでいるのは,民事責任は刑事責任と異なり,被害者の現実に受けた損害を加害者に塡補(てんぽ)される点にその主目的がある。したがって,発生した損害の塡補という観点からは,行為者の故意か過失かという容態上の差異は,あまり問題とならないからである。
過失責任を原則とする不法行為責任の成立に当たっては,故意・過失,責任能力,違法性および因果関係の四つの要件が満足されなければならない。通常,故意・過失,および責任能力を主観的要件と呼び,違法性,および因果関係を客観的要件と呼んでいる。故意とは,一定の結果の発生すべきことを認識しながら,あえてある行為をする心理状態をいう。また,過失とは,結果の発生することを知るべきでありながら,不注意のためそれを知りえないで,ある行為をする心理状態をいう。このような過失の説明は,注意義務違反としての過失を予見義務違反として理解するものである。これに対して,予見義務は,本来,結果回避のためのものであるから,過失は結果回避義務の違反であり,さらには予見して結果を回避すべき義務の違反である,との説明も,今日,有力になりつつある。過失を予見義務違反とするにせよ,結果回避義務違反とするにせよ,その注意義務の基準は,問題となった不法行為者の具体的過失ではなく,その不法行為者と同一地位,職業にある一般的標準人の抽象的過失である。法文上にいう〈善良な管理者の注意〉(たとえば民法400条)である。そして,通常,過失責任という場合の過失基準はこの抽象的過失を指すが,同じ抽象的過失でありながら,たとえば〈失火ノ責任ニ関スル法律〉のように,故意と並んで特に重過失を要件とする場合もある。
以上のように,永い沿革と合理性をもって出現した近代民法上の過失責任の原則であるが,今日,この原則にも,ようやく反省が加えられようとしている。その理由は,近代社会に入ってからの各種大企業の発展とそれに伴って生ずるさまざまな損害にある。すなわち,この種の企業損害に著しい,よく注意してもなお損害を発生しがちな特徴は,過失の存在,立証を大変困難なものとし,その結果,被害者の損害賠償上の保護をきわめて不公平なものとするようになったからである。そして,このような不公平の解決として,過失責任の原則を補完しようとして出現するのが,いわゆる無過失損害賠償責任の法理なのである。
→無過失責任
執筆者:徳本 鎮
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「故意または過失がなければ、自己の行為の結果、他人に損害を与えても損害賠償責任を負わない」とする立法上の原則をいう。歴史的には、過失の有無を問わず加害行為の結果について責任を負うこととされていたから、責任主義(原因主義)が先行するが、ローマ時代後期(とくにビザンティン期)以後しだいに過失概念が明確化され、過失責任主義が成立していった。
近代市民法の下では、過失責任主義が多かれ少なかれその中核とされ(日本の民法709条)、近代市民法の原理の一つとなっている。
近代法における過失責任主義の機能は、個人の自由な活動の保障、すなわち自由競争の確保にある。なぜなら、個人は、通常人として必要な注意義務さえ果たせば、損害賠償責任のおそれなしに自由に活動できるからである。しかし他方、20世紀後半になると、近代企業の発展、高速度交通機関の発達、原子力の利用などによる環境汚染(公害)が進むに伴い、過失責任主義はその矛盾・限界が明らかとなり、これらの領域では、過失の有無にかかわらず損害を賠償させる無過失責任主義(災害補償、鉱害賠償など)が発展してきている。
[淡路剛久]
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[民法上の過失]
民法には過失が問題となる制度は少なくないが(動産の善意取得もその一つ),過失とは何か,という疑問が常に発せられて論議されてきたのはもっぱら不法行為にもとづく損害賠償請求権の要件としてであった。すなわち,民法は,不正行為の帰責の原因として故意または過失を要求する過失責任主義を採用したが,これには過失があれば損害賠償責任を負わせられるという意味の外に,過失なければ不法なし,という標語に体現されているように,人の活動の自由を保証するという近代社会の要請を損害賠償法のなかで実現するという役割が含まれている。このように過失責任主義は経済生活ないし企業活動を発展させる強力なバネになるものであったが,被害者救済という点では,欠けるところが大きい。…
…刑事責任との対比においては,民事責任の主要な機能は損害の塡補(てんぽ)にある。そのため民事責任の根幹を成す基準として日本民法(709条)がとくに不法行為責任のために規定する過失責任主義は,民刑未分化の時代を経て,19世紀に至ってそれまでの原因主義にかわり,大陸法,英米法を問わず支配的潮流となった帰責原理である。それは,原則として故意犯のみを処罰の対象とする刑事責任に比べて加害者に対する責任追及の余地を大きくするが,他方で,過失がなければ損害賠償義務を負わされることはないというかぎりでは,本来,個人の自由活動領域を保証するという機能をもつものである。…
※「過失責任主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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