宗教家。新宗教教団「生長の家」の創始者で初代総裁。本名は正治(まさはる)。1893年(明治26)六甲山麓(ろっこうさんろく)(現、神戸市)の貧農の次男に生まれる。幼時から叔母に養われ、文学を志して早稲田(わせだ)大学英文科に学ぶが、思想遍歴や女性問題により養家の学資を断たれて中退。紡績会社勤務の後、1917年(大正6)に大本(おおもと)教へ入信、教主出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の下で活躍した。1920年に教主臨席で同信者江守輝子(えもりてるこ)(1896―1988)と結婚したが、1922年に同教を去ってふたたび上京。1929年(昭和4)12月に「生命の実相を知れ」との啓示を受け、翌1930年3月1日に雑誌『生長の家』を創刊して立教、以来独特の文書伝道により教勢を拡大した。
[薗田 稔 2018年6月19日]
『谷口雅春著『生命の実相』全20巻(1932・光明思想普及会)』
大正・昭和期の宗教家 生長の家創設者・総裁。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
生長の家の創立者。本名正治。神戸市近郊の農家の次男として生まれた。1914年恋愛問題で早稲田大学を中退,紡績会社で過酷な女子労働の実態にふれ,人生と職業の問題に悩む。17年大本教入信,浅野和三郎の下で《神霊界》の編集に従事した。大本教第1次弾圧を機に22年離教し,浅野の心霊科学研究会に参加。30年に《生長の家》創刊,病気治しと人生問題の解決法で評判をとった。以後生長の家の指導者として活躍した。
→生長の家
執筆者:大濱 徹也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…谷口雅春が創立した大本教系の新宗教。1929年,谷口は〈物質はない,実相がある〉との神示を受けて教義を確立,30年神戸で雑誌《生長の家》を創刊し,32年より雑誌のバックナンバーを合本し,聖典《生命の実相》としてつぎつぎに刊行した。…
※「谷口雅春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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